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photo:来田猛

原憲司展Kenji HARA

The Purified Yellow Stoneware

10/8 Sat. 〜 30 Sun. 2016

 進歩の歴史観の総元締めといえば、あの哲学者ヘーゲルです。その思想によると、世界の歴史は、時代とともに竹が節をつぐように直線的に進歩発展していって、現代(当時のゲルマン社会とヘーゲル自身の哲学)において世界史の完成を見るのだそうです。要するに〝現在が最高である〟という考えが根本にあるわけです。その思想は、十九世紀以来の世界を席巻して、現在にいたるも多くの人たちの考え方に影響を及ぼしていると思われます。この世は生きている者の世の中であるということを思いますと、現在が最高であると結論したヘーゲルは、実にうまいことをいったなあと思わせます。もっとうまいことをいったのがマルクスだと思います。マルクスはヘーゲルの亜流のようなものでしょうが、つまみ食いするようなかたちで〝未来が最高である〟というふうなことを言って、共産主義社会を、未来の理想国家に見立てたのです。必然的にそうなると言いました。現在によって常に裏切られる未来に向って、現在と未来のあいだに横たわるどうしようもない断絶を無視するように、頭の中でイリュージョンの橋を架けようとしたのです。これまですでにマルクスは何度も死んだように思われますが、しかしこれもまた、一種の政治的宗教として、いまだに懲りない人たちの間で生き続けています。私有財産は盗みであるといった言葉は殺し文句だったと思われます…。マルクスという預言者の託宣の帰趨は如何なものだったか、この百年の実際を見れば、その現実がものをいっているのではないでしょうか。
 唐突ですが、ヘーゲルはアウフヘーベンということを言っています。このドイツ語は止揚(しよう)と訳されていて、この漢字だけいくら睨んでいてもなんだか意味がわかりませんが、ヘーゲルはここで、あたり前なことですが、大切なことを言っているように思います。現在が最高であるなんてことは、普通に考えれば誰にも言えないことでしょうが、ヘーゲルの考え方の基礎には止揚という条件が置かれています。それは、現代が最高であるためには、蓄積された過去の全てが現代に収められ、その上で過去がのり越えられねばならないというものです。精神的な発展は、ここでは哲学でしょうが、放っておけば自然にそこに到達するというものではない、絶えず努力蓄積することによってその最高の立場にいたる。ヘーゲルの進歩発展の考えは、過去の哲学のすべてが自己の哲学の内に取り入れられ、しかもそれを否定して、それより一歩出るというのがそれです。通俗、浅薄な進歩思想とは違うものがあります。過去を取り入れ、しかも過去を否定して現在をつくる。アウフヘーベンです。階級史観などという偏った歴史観によって一種の経済学説のようなものを説いたのがマルクスでしょう。ヘーゲルとの大きな違いがここにあると思います。以上は、ものの本の読みかじり飛ばし読みの素人論ですが、筆者はこの世のことは、たいていは、かいつまんで言えないことはないと思っていますので、かいつまめているかどうか、これでも当らずと雖も遠からずと思うのですが…。
 原憲司氏の展は、2014年以来今回で二度目となります。待望の展でありました。筆者は前回展の作文で以下のようなことを述べました。
 …その原憲司の、これまでの来し方は如何なものだったか。花の命は短くて、黄瀬戸の美も一瞬の光芒を放ってすぐに消えた。はかない美への純粋な驚きと憧れが、彼を衝き動かしたのだろう。彼は美濃の地に居を定め、渉猟し、奔命した。探究し、研究し、試行をかさねた。彼はとことんの人である。そして想像を働かせた。その想像力は、彼をして数世紀前の美濃大萱(おおがや)の地に立たしめるようなものだったのではないか。そしてついに、古人がその地で、何か美しきものを作らんと昂揚している、その最中の現場に立ち会わせてもらえるまでになったのではないか。彼の心魂は、四百余年前に飛んで、古人と言葉を交わし、習い、経験し、またうつつへ帰ってくるのである。原は、かく遊弋することで、桃山陶の歴史を曇りなく映す鏡を持つに至ったのではないか。彼の鏡には古人の生活と、その生き死にまでが映っているのかもしれない。それほどの鏡なら、彼自身の相貌もくっきりと映っているはずである。それは、歴史のディテールによって自己を知るための鏡でもある。その自知の鏡が、彼の意志と選択と行為に一貫性を与える。彼の行為とは、美のイデアに近づいて行くことである。そのような人の作るものは、彷古のみに止まることはないのである…。
 原憲司氏は、黄瀬戸の頂点を示す伝世品は、いま窯から出されたばかりの初々しさがある、その極端に数の少ない頂点に位置するものは、奇跡の釉の入った一杯の桶のなかを一緒に潜った、兄弟のようなものかもしれないといったもの言いをされます。その言葉に筆者はリアリティーを感じます。黄瀬戸の由縁、歴史を深く知悉している彼だからでしょう。彼は、黄瀬戸を現代に〝止揚〟せんとして、黄瀬戸の過去のすべてを自己の腹中に収めている人のように思われるのです。-葎-

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