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photo:Takeru KORODA

原憲司展Kenji HARA

One "Aufheben" toward The Period

10/20 Sat. 〜 11/11 Sun. 2018

-原憲司と桃山陶-
 20世紀初頭にヨーロッパに発生し、瞬く間に地球上に広がって、日本を含むいくつかの地域で様々な展開を見せたモダニズムという潮流は、あるものの純粋な本質を問い、そのものをその本質へ還元しようとする運動である。1920年代から30年代にかけて、日本の陶芸はこのモダニズムと遭遇し、当然のように「日本陶芸」の本質が問い質された。それは西洋の陶芸でないことはもちろん、中国陶磁とも異なる独自性を持っていなければならない。この後半の要請は、当時の日本にとって痛打であった。なぜなら、19世紀半ばに開国し、西洋化・近代化の道を全速力で進み始めた日本が、欧米列強に対し万国博覧会などを舞台として提示してきた日本文化、すなわち宮川香山に代表される超絶技巧の明治陶芸は、そのほぼすべてのルーツを中国陶磁に負っていたからである。明治陶芸とは、同時代、清朝末期の弱体化した中国陶磁よりも完璧で新しい、そのヴァリエーションに他ならなかった。そしてどれほど技芸を極めようとも、単なるヴァリエーションではモダニズムの要請する純粋本質にはなりえなかった。
 モダニズムの要請に対する反応として、同時期に二つの運動が勃興する。柳宗悦による民藝運動と、荒川豊蔵や加藤藤九郎らによる桃山陶復興である。両者は「日本」「近代」陶芸の二つのルーツであるとともに、現在に至るまで陶芸愛好家の美意識を規定している。その美意識とは、村田珠光(1423-1502)から千利休(1522-1591)にかけて成立したとされる茶道の美学、すなわち侘び・寂びの美である。皇帝のために官窯で焼かれた上手の美ではなく、名もない職人たちの熟練の手によって民窯で生み出された雑器のなかから直下(じきげ)に見出される、上下・貴賤を越えた美、二元的には割り切れない美、奇数の美こそが、本当の美である、と。あるいは、完璧な人工美の中国磁器に対する、自然体の美、歪みの美、不完全の美こそ、日本陶芸の独自性なのだ、と。
 モダニズムの本質主義に応えて、中国陶磁からの差異化を目指した陶芸家たちが、桃山陶の時代(16世紀後半~17世紀初頭)へ帰ろうとしたのは、ある意味で当然であった。そこには、彼らの目から見て、前例があったからである。佗茶の美意識は、それ以前の唐物崇拝に対抗して生み出されたものであるし、それが天正年間(1573-93)を通じて普及していったことは事実である。そしてこの時代から伝世した瀬戸黒、志野、織部などの数々の名品を見れば、そこには、江戸時代のなかで失われた戦国時代の斬新で大胆な美意識が今なお漲っている。
 しかし、珠光の「心の文」を見てもわかるように、佗茶の美の本質は、中国陶磁を否定して日本独自の美学を打ち立てるといったものではなく、アイデンティティをめぐる本質主義の克服、「和漢のさかいを紛らかす」である。中国陶磁の完璧に対して、自然体の歪みから生まれる不完全の美こそ日本陶芸の本質だとする主張は、モダニズムの本質主義に応えて1930年代に形成された美学なのである。事実、不完全の美というキーワード自体が、1929年に英語から翻訳された岡倉覚三『The Book of Tea 茶の本』のなかの、「a worship of the Imperfect」に由来する。つまり「桃山陶」は、あくまでも対欧米的に「日本独自」の陶芸の始原として、捏造とまでは言わずとも発明されたのであり、この概念は、戦争を挟んで戦後の50年代にかけて広く定着した。日本陶芸のアイデンティティ、敗戦後日本のアイデンティティを求めて、桃山陶には過去70年にわたって日本独自の美学が過剰に投影されてきたのである。
 桃山陶を制作の中心にしていると言える原憲司は、その見かけの形と色を写そうとするのではなく、その原理を追求するタイプに属する。美濃の山中に住み、地元の土を採取して自ら粘土を作り、長石を自ら石臼で砕いて釉薬を精製し、手回し轆轤で制作する。四百年前の桃山陶(に限りなく近いはずのもの)が時を越えて出現し、それは同時に、いったい桃山陶とは何であったかについての作者の歴史的解釈、一つの桃山論となる。
 黄瀬戸のみならず、原憲司の志野、瀬戸黒、総織部、伊賀や信楽には、静かで繊細な造形とともに、つねに厳しい軽やかさとでも言うべき品格がある。定番の黄瀬戸は言うまでもなく、織部や信楽からも、上品で清潔な美しさが引き出されている。つまり中国的美学は持続しているのだ。「不完全で歪んだ」ダイナミックな造形、自由奔放な絵付け、あるいはざっくりと暖かみのある柔和な表情といった、桃山陶に投げかけられてきた従来のイメージは払拭され、あの「美意識の転換」それ自体が疑問に付されている。原憲司の原理主義が、上記の昭和時代の投影から、桃山陶を解放するのである…。
 さて、今展の新作は井戸茶碗。原憲司の井戸は、手取りが軽く柔らかで、いわゆる井戸茶碗の見所が作られてはいるが、写しの巧みな作家たちの井戸と違うのはもちろん、同じ陶芸の原理主義者たちの作る井戸とも異なっている。大井戸というよりは、井戸脇や小井戸のような、囚われないその形態や釉調が、どこか志野に通じており、桃山陶の朝鮮陶磁との連続性を示唆しているのだ。作家は桃山陶のなかに井戸茶碗を透視したとも言えよう。桃山陶に先立って、当時の茶人たちは、朝鮮半島のレディメイドの碗を、佗茶の美の頂点をなす茶碗に見立てていた。「日本独自」の桃山陶のルーツには、まず朝鮮があった。桃山も古唐津も朝鮮につながっていたのである。-同志社大学教授 清水穣-

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