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photo:Takeru KORODA

鯉江明展Akira KOIE

Towards the Beautiful Ashes

1/12 Sat. 〜 27 Sun. 2019

 去年はフェイクニュースという言葉が流行った。マスコミにしてみれば面白くなかったであろう。しかし流行語大賞なるものに推してもらいたいほどである。人は流行に敏感で乗り遅れまいとする習い性がある。これを機に多くの人が眉に唾をつけるようになるかもしれないからである。そうなれば目出たい。眉毛に唾をつければ狐狸にだまされないのである。私たちはいつだってフェイクニュース漬けにされてきたのではないか。今さらのことではないだろう。先の大戦にいたる道行きのあいだも、雨あられのフェイクニュースのなかで呼吸していたのである。そして結局、あらぬところへ連れていかれたのである。あの時代、正気を保っていた少数の政治家は、軍閥に殺されたが、新聞界で殺された者はいなかったのではないか。殺されてもいいとは思わないが、命をかけて木鐸(ぼくたく)を鳴らすということはしなかったのである。桐生悠々や菊竹六鼓(ろっこ)はその例外である。新聞人ならその名は知っているだろう。しかしながら、やはり衆寡(しゅうか)敵せずということに終わったのである。大手新聞社は、迎合をこととして、ぐるになってフェイクニュースを垂れ流し続けたのである。今もその性向は相変わらずである。マスコミの功罪を詮衡(せんこう)すれば、その罪は功をはるかに凌駕して余りあるように思われる。
 信ずるに足るものは、自分自身で発見するか、せいぜい見当をつけるほかないのである。しかし大前提としての信ずるに足るものとはなにかということを思う。この世界なのか。国家なのか。人間であろうか。自由であろうか。正義であろうか。たとえば老子のいう小国寡民の国とか、あるいは一人の不正に対しても他のすべての人が反対するような共同関係のなかで正義と自由が確立されている国家が存在するのなら、その一員に殉じたいとも思う。しかしそのようなものはどこにもない。現実のいかなる国家も、いかなる寺院も教会も、いかなる社会も団体も、究極において私たちを守護することはないだろう。いざとなれば生殺与奪をほしいままにするのである。あるいは見捨て去るのである。このような守護を信じるのは平穏な時に夢見る無邪気な迷妄に過ぎないのではないか。
 自然に対しては、私たちは自然を切り裂きそのなかへ入っていって、自然を素材とし利用し、あらゆるものを作り出し、文明を築きあげてきた。しかし私たちの自然の支配というものには、思いもよらぬ不測の要素が残されているのである。実際は不断の脅(おびや)かしに私たちはさらされているのである。眼前に現れていなくとも、私たちはそうした絶体絶命の脅かしにさらされているのである。高をくくって自然を手なずけたつもりでいても、自然はもともと全体としては手なずけることのできるものではないのである。その大きな枠の中で考えれば、私たちのやっていることなどは、目こぼし的に許された全くの特例にすぎないのではないか。私たち人間をこの世界に現前させたのは自然である。その懐に抱かれて、目こぼしを受けながら人間は生かされてきたのである。しかしその神々による守護の如きも、いつ根こそぎ奪い去られるか知れたものではないのである。自然に対しての人間の既存的なあり方は、根本的に弱く、無力ではかないものだということである。

 どうもニヒリズム色の濃いことになってきましたが、この平成の時代もようやく終わろうとしています。あの東北の大変を頂点に、あまりに災厄や変事の多い三十年だったように思います。しかし次の時代も人の世は続いていくのでしょう。その人の世もだんだん砂をかむような味気ないものになりつつあります。なんともいえない漠然たる不安がぬぐい去れませんが、しかし覚悟はしても絶望してはならないと思います。私たちは、謙遜な気持ちをもって絶えず努力している、最も多いであろう(と思いたい)善良な人たちのことを、信ずるに足るものとして信じていかねばならないのだと思うのですが如何でしょうか?
 本年初頭の展、鯉江明展であります。今回で6回目となります。先日筆者は期待を込めて、彼に妄想ラブレターを送りました。「明さん、撮影用の作品有難う存じました。ちょっとデザイン勝ちなものになりましたが、なかなかいい写真になったと思っております。ご一覧のほどを。今展、期待しております。プレッシャー掛けてます。灰の美しさというものを出していただきたいと、かねてお願いしておりましたが、自然降灰のみならず、明さんの興のままにペッと釉を飛ばすとか、あるいは溜めるとか、刷くとか、描くとか、そういった遊び(遊びは剣呑ですが)というか、明さんの新局面を見せてくれたらなあと思っております。では身体にお気をつけて…」例によって見物の勝手さ残酷さ丸出しのようですが、彼は中世のやきものの美といったものにするどく感応する人だと思っております。そこへの彼独特の近接が見られることと期待して待ちたいと思います。何卒のご清賞をお願い申上げます。-葎-

   平成三十一年亥年 明けましておめでとうございます
   本年も何卒のご贔屓を伏してお願い申上げます。

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村田彩展
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