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photo:Takeru KORODA

植葉香澄展Kasumi UEBA

Elan Vital Again

1/11 Sat. 〜 26 Sun. 2020

明けましておめでとう存じます
 
 改元令和も、はや新年を迎え、まずはめでたく正月の華やいだ幾日かを過ごしたいと思う。そして今年が嘉き年であらんことを願う。人は過去を生き、現在に生きて、未来になにがしかの希望を懸けて生きてゆかねばならない。それにしても日月のめぐりようの速さには閉口する。この正月も来たかと思えばみるみる過去と入れ替わってゆく。現在は一刹那ごとに未来に置き替えられてゆく。
 人には人それぞれの過去現在未来がある。それぞれに一身上の歴史がある。筆者のことで憚るが、過去を顧みれば、昔なつかしく思い出されることも少なからずある。しかしその後のことなどを思えば、もう一度おのれの過去をそのままくり返して生きよと言われても、まっぴらごめんという気持ちがある。それはあまりに悔い多く、恥ずかしさと失敗にみちているからである。そのような忸怩たる来し方に連続して今がある。思えば筆者の現在は、みじめといえばみじめな現在である…。またもし筆者の過去がたとえ美しかったとしても、そのような思い出のみにひたって生きることもできず、それはかえって現在のみじめさを際立て、ひいては将来の不安を増すだけかもしれない。要するに人は過去だけを、また現在のみを頼みに生きていけるものではないのだと思う。それだとどこか落ち着かないことになるのだろう。
 それでは未来を当てにするか。ひと言でいえばそれも出来ない相談である。この世界の未来も、私たち自身の未来も、未来というものは絶対的に隔絶して、私たちの先に未(いま)だ来ぬものとしてあるのである。私たちを超越して向うからやって来るのである。ついこの前の東北の人たちの未来を見よ。未来はどうしようもないものとして彼らの、私たちの前にやって来たのである。歴史としての未来も同じことで、いわゆる進歩史観というものが、この二百年近く世界を覆ってきた。私たちの頭にも、それが広く深くすり込まれている。この考えは未来へ向って、文明は進歩進化の歩みを止めないだろうと予言する。しかしそれは真っ赤なウソ話となっているのではないか。現代ともなればなるほど、世界中のあらゆるところで野蛮と生活の水準の低下、またモラルや言葉の頽廃がはびこっていて、文明の進化どころか破壊的なことになってきている。科学技術だけは別である。暴走的な進歩を遂げつつある。そしてこれがまた厄介なことになってきている。私たちは未来も生きるよりどころとすることはできないのである。よりどころとしての未来は死後にのみあるのかもしれない。
 近年の世相というか時代のなかで、どうも私たちは、ますます心の落ち着きといったものを失いつつあるように思われてならない。どこへ行けばいいのか、あるいはどのように生きればいいのか、なんのために生きているのかという、青臭い問いかもしれないが、筆者などはいい歳をしていまだにそんなことに思い悩んでいる。私たちの現代は如何なものなのだろうか。若さと新しさがいっぱい!といった通俗進歩史観の時代。新しければ何でもいい!というニセ芸術の栄えている時代。しかし人は必ず老いまた病む。浅薄な新しさは即座に陳腐化してゆく。
 また収拾がつかなくなってきたが、それならいったい私たちの生のよりどころとなるものというのは何なのか。そんなことはわかりませんが、自分自身への情けなさと怒りを込めて書き散らかせてもらうなら、それは生死を越えて、その〝ため〟に生き、その〝ため〟に死にさえもするところのものだろう。人皆すべてに仏性ありというが、そんなことはないだろう、ただただ生きているだけでなく、諸悪莫作(まくさ)でよく生きようとする人に仏性は宿るのだろう。生と死のかなたに越えるものを想わねばならない。単なる時間上の今後である未来に信仰を置くのはまちがいだろう。単なる未来を、私たちの現在と過去の目的のように思ってもダメだろう。未来を越えて、そして当然また現在と過去からも遠くへだたっているもの、それは一種の永遠なるものだろう。永遠とは時間の長さ久しさではない。時間と歴史と人生を超えるものだろう。そのような永遠感覚を、昔の人は大なり小なり持っていたのだろう。私たちもそのような永遠感覚を取り戻すべきなのだ。さすれば少しは心の落ち着きも得られるような気がするのだが…。
 植葉香澄がまた新たな造形を見せてくれている。筆者はこれに生命の躍動といったものを見る。内からのはち切れんばかりの強烈な充満が窺われる。タガのような白金彩の紐帯(ちゅうたい)が、それをかろうじてしばり付けているようだ。神仏の慧眼(けいがん)のようなパターン文様が四方八方を睥睨(へいげい)して邪気を払っているようだ。鳳凰があたかもかの霊鷲山(りょうじゅせん)の頂きから現われ出でようとしている…。やはりこの人の造形力と、インスピレーションというか想起力には、端倪(たんげい)すべからざるものがある。大いにご期待を賜りたく、何卒のご清鑑を伏してお願い申上げます。-葎-

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