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  • 猩々緋開口壺 高24.2cm.tall 径26.0~36.0cm
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photo:Takeru KORODA

山田晶展Akira YAMADA

The Perspective Reds

12/5 Sat. 〜 20 Sun. 2020

 知らなかったが、芸術という言葉の由来というか典拠は、あの、教科書でも習った倭の国の記述(東夷伝)のある後漢書であるらしい。そのなかで芸術は技芸とか学術という意味で使われている。筆者は近代になって新たに造語された言葉だと思っていたので全く意外だった。工芸はというと、これも意外や造語ではなく、唐の時代の漢籍が典拠との由。原義は工作、技術というほどの意味である。なんのことはない、広辞苑に書いてあった。
 典拠は典拠として、しかし近代に入ってわが国では、脱亜入欧ということで、西洋美術の概念に合わせようとして、Art、別してFine Artには芸術、Craftには工芸という言葉を、上述の漢籍のなかから拙速に充当してしまったのである。明治以前は、芸術とか工芸といった言葉は、日常ほとんど死語に近かったのではないか。だから典拠はあったにしろ、こんな翻訳は、言葉の歴史的理解と慣用を無視した拙訳というべきものだと思う。ではどういった日本語を充当すればよかったのか。放っておけばよかったのである。筆者は、いまだにこのことが芸術、工芸双方に祟(たた)っているように思われる。芸術が上位で工芸は劣位といった妙な意味合いで、今となっては、芸術、工芸という言葉が久しく慣用され、根付いてしまっているのである
 筆者は、アートとか芸術とか芸術家と聞くと、なにか胡散臭さを覚える。芸術でもなんでもないにせ芸術が、現代は横行しているということもある。昔を思えば、そもそも芸術的なるものごとは、絵画でも彫刻でも工芸でも音楽でも演劇でも舞踊でも、人々の生活のなかに溶け込むように、散りばめられてあったものであろう。そのなかでとくに高められ昇華されたものを芸術であると、今日の眼でもって、まあそう言ってもいいだろう。しかし昔の人は、それらを芸術などという観念語で指呼することはなかったのである。芸術とか工芸というふうに分けて考えるというか、どっちが上でどっちが下とか、そんなことはどうでもよかったし、思いもよらなかったのである。
 東京と京都に国立近代美術館がある。そして東京国立近代美術館には、分館のような形で工芸館が設置されている。東京国立近代美術館工芸館である。皇居外苑の北の丸に立地し、もとは近衛師団本部の建物である。筆者のところでは十年ほど前に、北の丸大茶会と僭称し、若手陶芸家たちと一緒に、全館使って二日に渡り茶事を催させてもらい大変お世話になったことがある。その工芸館が今秋、知る人ぞ知るということだろうが、金沢に移転した。
 なにも動かさずもがなと思っていたが、発端は地方創生という政治のモメンタムが働いている。予算がついて動き出したら止まらなかったのだろう。移るのなら移るでいいと思うのだが、しかしながらその顛末が、大阪漫才の落ちにいう、もうええかげんにしなさい、なんでやねんといった体に終わっているのではないかと思われる。どうも変だぞと思われる。そう思う人も多いのではないかと思う。ボロクソまぎれに述べれば、まず名実の対応を欠いている。金沢にありながら、正式名称が東京国立近代美術館工芸館である。それを糊塗するように通称で〝国立工芸館〟と呼んでくれと自らいう。妙である。通称は外から自然につくものである。名は実の賓である。正せるものなら正すべきである。東京の所蔵品がすべて移っていない。選択があったのだろうが、変である。建物が再び旧軍関係で、旧陸軍の金沢師団の建物である。新たなモニュマンを作れなかった。残念である。名誉館長という職を設けているが、その名誉館長さんが元サッカー選手である。どのような貢献があったのか知らないが、なんでやねんと言わざるをえない。
 外野の筆者でも忸怩(じくじ)たるものが残る。いわんや移転に尽力した関係者のなかには、ほぞをかむような思いをしている人もいるのではないか。名称については、地元のやかまし屋がいて難航したのだろう。しかし税金を用いてこんな始末では、問題になっていないだけで、一種のスキャンダルである。近美の本館の人たちの姿勢も、他人事のようになっていたのではないか。本館も工芸館もまるごと移って、この際合体すればよかったのである。金沢だっていいところである。いやなら辞めてもらえばいいのである。一括移転ならやかまし屋もだまらせることができただろう。
 このような壮大な中途半端の原因はなんだろうか。筆者は、芸術と工芸という概念、わが国の文化領域でも行われた、にわか概念付けの祟りが祟っているように思われる。そもそもなんで近美本体からひり出すように工芸が分離されたのか。そして、この顛末の動因となった今日の政治と政治家の浅薄さが、これまた祟ったように思われてならないのである。残念無念。
 本年掉尾の展、山田晶展であります。赤の遠近と副題しましたが、彼の仕事の柱、猩々緋(しょうじょうひ)シリーズは、洗練を加え、新たな局面を見せております。力作が並ぶことと存じます。何卒のご清鑑を伏してお願い申上げます。-葎-

 

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