近ごろ権威主義国家という言葉をよく聞くが、少しく違和感があり独裁専制国家というほうがより明瞭なのではないか。いまもRUSSIAとかCHINAは、残念ながらそれそのもののような国家の振舞いを見せている。DPRKは、あれは国家というよりヤクザとオウムが合体したような、恐怖を支配原理とするある種の政治宗教的組織体というべきである。そして昨年来の戦争などは、やはりそういう国家が始めるのである。独裁的支配の体制だけが、勝手に拙速に戦争を始める危険性をもっているからである。
戦前の日本は、いうところの独裁専制国家だったのだろうか。天皇は君臨していたが、政治の現場では一人の人間に収斂されるようなディクテーターはいなかったのではないか。しかし政治における独裁的専横は、ある集団をもって行われたのである。天皇の名と権威を僭称し、虎の威をかりた狐たちの跋扈があったのである。いわゆる昭和の軍閥というやつである。個々の軍人については別の判断があるべきだが、当時の軍人たちは、上は将軍から下は青年将校までニセ天皇ミニ天皇を騙(かた)り、みだりに皇道とか大義とか国体だのと、誰しもがだまる美名を偽善的に、居丈高に濫用し、二・二六事件など数々のテロまで働き、政治に従うべき彼らが逆に政治を支配したのである。その結果、大失敗をやらかし、全国民にあらゆる苦難をなめさせたのである。私たちは昭和の軍閥を別してにくむべきなのではないか。
唐突だが小津安二郎の映画には完品のような名作が多いが、そのなかでとりわけ印象に残っているシーンがある。小津映画は人物描写にディテールがあり、台詞も短いフレーズに深い含意が抽象されている(ちなみに小道具の工芸品も秀逸)。そのシーンだが、笠智衆と加藤大介演じる、先の大戦での上官と部下とのひょんな邂逅から始まる。加藤大介は、たしか実際に兵隊に取られ南方に行かされた人である。笠が駆逐艦の艦長で加藤が一等兵曹である。二人は久闊を叙そうとあるバーに入る…。「ねえ艦長、どうして日本は負けたんでしょうかねえ。これで日本が勝っていたらどうなっていたんでしょうね」。かつての一等兵曹からの直截で痛烈な問いかけである。問うほうにも複雑な思いの丈があろう。艦長はそれに対し「けど、負けてよかったんじゃないか…」。と一言もって返す。「そうですね、バカな野郎が威張らなくなっただけでもね」。といったこれだけのやり取りだったと思う。
筆者はこの対話にすべて尽きているような気がした。〝バカな野郎〟のかたまりが、おのれの知識的限界や利己的動機を反省することなく、正義と面子に凝り固まって狂信状態になると手が付けられなくなるのである。そして行くところまで行くのである。国民はそれの道連れである。わが国の場合は、正気を保っていた少数の和平派が、天皇とともに自らの命を賭して土壇場で終止符を打つことができたのである。
今年はここ二三十年来の、とどのつまりの厄年になりそうな気がして暗澹たる気持ちになってしまう。UKRAINEでは独裁専制国家による殺傷と破壊が続いている。プッチーンしたスケールのちがう極悪人がもたらすあらゆる不幸の極北を見る思いがする。あれは当分止むところを知らないだろう。戦争は、短時日のうちに長年月を要した人々の建設的営為とその達成をぶち壊しにしてしまうのである。わが国もそうだった。しかしながらそのさなかにあっても、黙々として、建設と創造と蓄積をそれぞれの持ち場で連続しようとする、善良で謙遜な人たちもいるのではないかと信じたい。いやいつの世にもそのような人はいるのである。その一人一人はごく小なる一人にすぎないかもしれないが、一人ではないと信じるのである。そう信じ合うことが希望と救いとなる。この人間に対する信頼と紐帯が、彼の地の受難の人々を持ちこたえさせるのではないかと願い思うのである。
小坂大毅展、弊館では二度目の個展となります。当年三十五歳。彼のことは真摯な姿勢で黙々と仕事に向き合っている若者と見てきました。染付をもっぱらとし、若い感性でおのが作品に変化と移動を加えつつ、向上の一途をたどっているように見受けます。いよいよ作家として油の乗ってくる秋(とき)にいるように思われます。何卒のご清賞を伏してお願い申上げます。-葎-
小坂大毅展Daiki KOSAKA
Indivisual Continuance Toward Good
3/4 Sat. 〜 19 Sun. 2023