池田省吾の展は七度目となる。初回が十三年前だった。光陰矢のごとしだが、こりずに仲良くしていただいてまこと有難く思っている。そしてこの間、個展の度ごとに彼の人と作品を想いつつ駄文を連ねてきた。その顧みての断片にてご寛恕のほどを…。
二年前、彼の作品を取り巻く状況の、衰え知らぬ勢いを痛感して…「展覧会は開けてみないとわからないものですが、池田さんの展では毎回会場は混乱し怒涛のごとしでして、時間の先後で決まっていくものですから、またその先後も判別し難く、弊館サイトをご覧になってのお客様には心苦しいことが多々ございました。よって今回は、サイトへの作品のアップは見送らせていただくことにいたしました。状況によっては残り福を日をあらためて二三日うちにアップさせていただくことになるやもしれませんが、以上ご賢察の上、ご諒諾を賜りましたら幸甚に存じ上げます。申し訳ございません」。
四年前、撮影用の織部茶爺(じい)と銘された陶彫像を見て…「池田省吾は、織部のエスプリを深く蔵する器も出色だが、独特の塑像をものする人でもある。写真の、茶碗を手に何かを仰ぎ見ている人物は、どこか老荘の徒のような風情である。禅味というか茶三昧の風狂に遊ぶ人のように見えてくる。そんなリアリティーで迫ってくるものがある。すなわち真に迫っているのである」。そして筆者にはその様子が寒山拾得と重なり…「この陶像が抽象しているような、そんな人物に筆者も会ってみたい気がしてくる。見透かされ、腹の底から笑われてもいい。憫笑されてもいい。しばらくの間、一緒に坐していられたらと妄想を駆り立てられるのである。隋代創建、国清寺の僧として、寒山と拾得が名高い。この二人に豊干をあわせて国清三聖と称する」。
五年前、茶会で池田省吾のマネッ子に出会ったエピソードとして…「某日某所の茶事でのこと。大寄せの茶会だった。メインの濃茶席では瀬戸黒の小原女も出るということだったので、大寄せはきらいだが行ってみた。何席か懸釜していたが名古屋の道具商の青年部の席があって、憚りながら主客で連なった。薄茶席である。連客のおばちゃんたちを詰め込むだけ詰め込んで、愛想なしの、点前もなしの点て出しである。揃いの数茶碗で点て出しが始まる。そしてその一碗目が運び出されたとき、おおあれは池田省吾ではないかと急にうれしくなった。しかし手に取ってみると、なんだか違和感がつのってくる。茶をすすり終わり見込をのぞけば、網タイツのバニーガールがこんにちはといっている。これは完全なマネッ子だと遅まきながらわかって、筆者は中っ腹で道具屋のお兄ちゃんたちに、池田省吾という人をご存知かと聞いてみた。知らぬという。この日のために、とある売出し中の陶芸家に特注したのだという。得意気である。道具屋はもっぱら古ものを扱うので、今のものには目がくらむのかと思ったが、それにしてもこの人たちの行く末が案じられた。これは本歌(池田省吾)の”いかもの”ですよと言ってやった。その茶碗はひと言でいえばきたない茶碗だった。見れば見るほど本歌に媚び、受けねらいで迎合しているかのような心根が透けて見えた。会記には漫画織部とあったが絵が下品というか、劇画調なのである。劇画のなかには、あ、こりゃきたないと目をそむけさせるようなものが多い。なにが言いたいかといえば、件の茶碗があまりに如何にも”いかもの”であったがゆえに、よけいにしみじみと池田省吾という作家の無二性に思い至らされたのだった」。
八年前、撮影用の鳴海織部の茶碗の描写のあとに述べて…「要するにこの作は、褒めものなのである。秀逸である。DM用にと思って別して選んでくれたのかもしれない。荷を解いたときの当方の嬉しさは格別なものだった。そして性懲り無く、またもや見物の残酷さが頭をもたげてくるのである。この調子だとこれに匹敵するものがもっと来るのではないかと。彼にすれば勝手に思っておけといったところだろうが、彼の作るものがそう思わせるのだから仕方がない。さぞ有難迷惑であろう。しかしながら、優れた作家ほどプレッシャーとストレスを糧とするのではないか。それはなにかといえば、見物を意識してしまう作者のそれと、見物が抱く作者への期待と、それと〆切である。もの作る人に毎回迫り来る〆切は、世の常の人には窺い知れないつらいものがあると思う。それは生みの苦しみにも似たものであろう。しかし思えば、人生は〆切の連続なのではないか。快苦はあざなえる縄のように、寄せ来る波のようにやって来るのである。ものを生すことには苦しみが伴う。しかしその後にほとんど必ず歓喜と浄化がやって来るのではないか。そこが観念のしどころだろうと思うのである」。
十一年前、古田織部考に添えて…「池田省吾の織部焼は、余人のものとは一線を画していると思う。単なる彷古に止まることなく、そのカブキようにおいて彼のみが遊べる境域というか作域があり、一頭抜きん出ているように思う。織部焼以外の諸手においてもそれが見て取れる。彼には古田織部の生き方やスタイルが依って来たるところの精神に思いを馳せていただきたいと思う。そして、織部のスピリットを体現して如実の、池田オリベともいえる作品世界を求め続けていただきたく思い云爾(しかいう)」。
十三年前の初個展時、筆者に当時すでにネタ切れのあせりがあったらしく、彼にしつこく文章をねだって…、短文だが彼の文は希少ではなかろうか…「『いつもお世話になっています。種子島も西風がかなり強く吹き、寒さを感じています。先月のDM用の文章の件ですが、作陶する時には、自分の好き嫌いで、無心にはならず、一つ一つに自意識を持ちながら作り上げています。焼き上げた物には、言葉はいらず、執着心もありません。私の焼物にはむずかしい言葉は不要です。何の哲学も持たない私ですので。個展時は、織部が多くなると思います。後一ヶ月、一生懸命頑張りますのでよろしくお願い致します』。今展、池田省吾の文字どおりの消息である。種子島よろしく潮風颯々(さっさつ)たるさわやかさを覚える。この人にも文章を頼んでしまったのだが、池田さん、先月来よりお煩わせいたしどうもすみませんでした」。
かく相なった次第も何かのご縁だと思う。再び長きに渡りよくぞお付き合い下さったものと有難さも一入なのである。
何卒のご清賞を伏してお願い申し上げます。-葎-
photo:Takeru KORODA
池田省吾展Shogo IKEDA
Seven Solo Shows Long So Far
7/26 Sat. 〜 8/10 Sun. 2025