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photo:永田陽)

すずきあきこ陶展

8/4 Sat. 〜 26 Sun. 2007

 現代日本人は何故か不安顔である。笛でも吹かれたら唯々諾々としてあらぬ所へ連れて行かれそうな面持ちをしている。その不安は正体不明のいわば漠然とした不安である。しかしもう長い時間をかけて蓄積されてきたもののようである。どのように紛らわそうとしても依然としてその不安はわだかまり、沈殿したままである。そして自分というものを探し求め徘徊している。そのような日常に私達は長く耐え得るのだろうか。
 人は何のために生きるか、生きていることの意義とは何ぞやという、青臭くも哲学的な命題がある。まじめ人間ほど深入りしそうな問題だが、これにすぐに答えられる人などいないだろう。この世は無常に去りゆくものであり、五蘊皆空、色即是空、無であり空であり、人間本来無一物だと、たとえば釈迦牟尼は云う。しかし私たちはこれを静かに甘受できるだろうか。助かったような、救われたような気に一時はなるが、昔の人のようにこの世の生を仮のものと諦観し、覚悟するといった無常観を、日常的思想にして生きるような生き方が今の私たちにできるだろうか。昔の人は偉かったとも云えるが、しかし今日は今日で、私たちは私たち自身の悩ましい問題を抱えているのである。それを例えば今の仏教(宗教)が解決できるとはなかなか思われない。この世は無常であるとか、私たちも実体はなく無である空であるということは、つきつめて云えば、結局これは死ぬのだという考えだ。これだけではあまりに突き放しすぎではないか。
 死を極限にまで矮小化し、不老不死まで計画する私たちだから宗教の立つ瀬もなくなるのである。しかしそれでもなお死なねばならないという事実がある。またしかしその死なねばならないという事実は、私たちが存在しているということの一つの証拠なのだとも云える。死ぬから生きているのである。私たちの存在は、生は、無とか空、滅亡とか虚無といった、千尋の谷底にかけられて存在しているのである。はかない存在であるが、いわば私たちは無に対しての厳然たる有であるといえる。それを神様のお陰と思ってもよいが、宗教の限界を思うと、宗教を捨てて顧みないのなら、なにか別の徹底した形で、ここ一番考えなければならない時が来ているように思われる。
 唐突だが、そのような意味で新しい哲学芸術いでよと云いたい。もう出尽くしてしまいこれで打止めか? 哲学と芸術は友と云う。そして芸術には芸術の理想、レエゾンデエトルがあろう。生のみを肥大化させて、人生を矮小化している現代日本人の不安顔を多少はなんとかしてくれ。芸術だって時代に埋没しすぎて、あるいは迎合などしたりして、卑小で無力なものに堕しているのではないか。願わくは、私たちに将来への覚悟の力を与えてくれるような、そして普遍の希望を感じさせてくれるようなもの、そのような作品を呈示して欲しいと思い云爾(しかいう)。-葎-

SUZUKI AKIKO
1979 愛知県知多郡生まれ
2004 京都精華大学陶芸専攻卒
2005 京都市陶工高等技術専門学校卒
2005 清水六兵衛窯にて仕事する ~2006
2005 京都府美術工芸新鋭選抜展
2006 兵庫県三木市に独立

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