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  • CHIMERA(キメラ)的なるもの H36cm 62cm×32cm
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photo:永田陽)

植葉香澄展Kasumi UEBA

9/8 Sat. 〜 30 Sun. 2007

1978 京都生まれ
2001 京都市立芸術大学陶芸科卒
2002 京都市工業試験場陶磁器コース修了
2003 京都府陶工高等技術専門校図案科卒
2005 個展 ギャラリー器館(京都)
2006 個展 サボア・ヴィーブル(東京)
     個展 ギャラリー器館(京都)
2007 個展 サボア・ヴィーブル(東京)
     個展 ギャラリーこうけつ(岐阜)
     個展 ギャラリー顕美子(名古屋)

 「模様から模様を作らず」と富本憲吉は言った。はじめはどういう意味なのか、そういうことができるものなのかと怪しく思った。見たこともない文様を創りだすという意味だとすればそれはできない相談だと思ったのである。富本には定家カヅラから取った四弁花文など面目躍如の文様がいくつかある。いくつかしかないのは自身のプリンシプルを生涯つらぬいたからだろうか。それらは更紗文様のように描かれている。しかしこれらが言うところの生涯の信念を実現したものなのかどうかやはりわからなかった。ふし穴の目には既視感をおぼえてしかたがなかった。こういう文様はあるではないかと思えたのである。
 しかし年を経てみると暗愚の身にも多少の変化が生じることがある。富本のものがものを言いはじめるのである。そしてものから人へ、周辺の事柄へと芋づる式に興味がつながっていくのである。達者な職人の仕事のように思えたものも、見るというより読むように見てゆくとこのようなものがシナに朝鮮に邦家にかつてあっただろうかと気づかされるのである。

 それはある巨大な個性の発現である。それは東洋と西洋との混淆と摩擦によって生みおとされた観がある。富本は明治十九年生れである。あたかも脱亜入欧のキャンペーンのまっ最中で、東洋の思想や古典は弊履を捨つるがごとしで、一方西洋の根本にも至らず、日本人は亜西欧人というかニセ毛唐の道を歩みはじめる。ご参考までにそのまま私たちは現在に至っている。あのキャンペーンは一種の文化大革命みたいなもので、あんなに性急でなくとも日本人はもっとうまく東洋的停滞のようなものを克服できたのではないか。そんな時代に富本は西欧へ渡っている。

 よく明治の人はえらかったということが言われるがそんなことはない。えらかったのは封建の人である。さきの戦争は主に明治生まれが調子にのって立案遂行した戦争である。あまたの大悪を積みかさねた。私たちの思い描く明治という時代は、実は文化文政天保の封建の人が作りあげた時代で、そうでないと計算が合わないのである。天保老人は大正まで生きていたはずである。だから富本の生れた明治十九年といえば、まだ回りにいっぱい生きていて、憲吉の親がそうならその親もそうで、彼が預けられた祖母など寺子屋を主宰していたほどの人で、おそらく漢籍の白文もすらすらと読み下したのではないか。言いたいのは富本はそういう環境にあった人で、そして最後の人の一人だったということである。千年来の伝統と文化に連なり、文語を解し漢籍に通じ、千年の古人を友となせるような謂いでの最後の人である。

 そのような人は悩み多き人でもあろう。富本も「私は歎きの多い人間だ」と言っている。生まれつきもあろうが目覚めた人の宿命のようなもので、その歎きは深くもあったにちがいない。すなわち彼は近代精神という代物に、おのれの自己同一性を激しくゆさぶり続けられていたのではないか。言葉も含めた一つの文化圏の滅びゆくさまを長きにわたって見ねばならなかった。幸福だったエートスへの突然の侵略。しかし富本は千年来の自己同一性を持していた。そしてその殿(シンガリ)の人として侵略者に伍することができた。不機嫌にいらだちながらも相手を取り込み、否定するところは断然否定し、東洋であることの矜持と幻滅とのないまぜの中から、いわば自己を止揚し得たのである。その全神経をかけた止揚あっての彼の作品である。止揚などといくらながめてもわかりにくい言葉をつかって恐縮だが、やはり真に止揚できる人のみが世紀を超えてゆくものを生み出せるのだ。

 富本は図案家になろうとしていたくらいで、いわば装飾、模様の人である。ロクロにも隔絶した境地のものがあるが(白磁の仕事を見よ)、かたちより模様あるいはパターンに第一義を置きそこに真骨頂を発揮した。ひと言でいえばオリジナリテを確立したのである。それは美術史上の一つの達成である。四弁花文、羊歯文などは達成された頂点で、その裾野は豊かに大きく広がっている。あの面相筆によるパターンの一筆一筆には、近代人としての相克と共に清浄なカタルシスも現れていて、富本自身も忘我のうちに自らを自らによって救っていたのかも知れない。癖の強い人でもあったらしいが、筆者はあの作品群に作者の精神のはるか高みを見る。

 今展の植葉香澄も装飾に表現の余地を求めている新進である。注目さるべき才能に思われるのでここまでは彼女の為にとつらつら思ったことでもあり、彼女におかれてもこの偉大な先達の高風を欽慕(キンボ)していただければと願い云爾(シカイウ)。-葎-

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