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photo:小林禎弘

新里明士展Akio NIISATO

9/5 Sat. 〜 27 Sun. 2009

人は誰でも本当に言いたいことを腹蔵している。腹の膨れる思いで、これだけは言わずにおくべきかといった事々があるだろう。しかしそれはいくつあるか。胸に手を当て考えてみる。ひいふうみいよう指折り数え、はたと思いいたる。なんぼでもあるぞと思っていたのに、アニハカランヤ、そんなにあるはずもないのである。本当はそんなにないのである。してみれば私たちが日々パクパク口を動かしているのは、あれはなんなのか。索然たる思いに捉われる。あの無数の口のパクパクは、ほとんどが何ものかによって言わされている節がある。じっとそのパクパクに見入ってしまうことがある。

 一昨年、加藤委が京都の二大学でのワークショップに呼ばれたことがある。ちょうど個展の最中だったので筆者もついて行った。ワークショップとは実演のことである。あとでレクチュア、質疑応答などをする。学生からもいろいろと質問が出ていた。加藤はそれに親切に応えていた。筆者には上っ面をなでるような質問ばかりに思えたので、「ではそれで加藤さんは、その作品でもって結局何を言いたいのですか?」と聞いてみた。しらけたような空気を漂わせてしまったのか、そういうこと聞くの?と、ある人にツッコミを入れられてしまい身のすくむ思いがしたが、加藤は、しばし絶句のあと「絶対美です」ときっぱり言い放った。彼らしい率直でアッパレな受け応えで、筆者は聞いて悪かったと思った。言われてみればこれしかないではないかと思えたのである。

 あるものが美しいとはどういうことなのか。それは果たして説明のつくものなのか。昔から、人は美の原因といったものを探ろうとしてきた。そのために美学という学問領域があるのだろうが、筆者にはその存在意義がわからない。そもそも学問的に美を固定化しようとすること自体がむなしい。あるものが何によって美しいのかと問うよりも前に、それは美しいから美しいのであろう。美の彼岸には言うに言われぬ、頭では理解不能の驚きの世界が広がっているのである。

 美は不可思議なのである。自然学によっても、美学によってもトータルな総合的な説明を加えることはできないだろう。昔の哲学者などは、たとえば花の美しさは、その色や形や香りによって美しいのではなくて、「美しいから美しい」というよりほかないような、「美」そのもの(イデア)を導入して、花はただ「美によって美」なのだという原因説明を試みたという。神という概念の生れる前である。さらに美とは、人にとって「よし」とされるものであると定義したのである。すなわち美というものは、正しく豊かで善なるものであり、それを人が正しく豊かに感じることができれば、美は人に生きる意欲と歓びを与えるようなものであるとしたのである。末梢的な学問的説明よりも、美のための説明としては、こちらのほうがすぐれていると言えるのではないか。美とは不可説の永遠不変の存在に由来し、そのはるか彼方からの来訪者のようなものかもしれない。

 加藤が多くを語ることなく「絶対美」と簡潔に言ったことに、筆者は彼に実践者とか冒険者の姿を見る。彼は美というものがつかみどころのない、ひょうたん鯰のようなものであることを了知した上で、絶対美という大目的を目的と定めているのである。何のために表現するのか。本当は何が言いたいのか…。かく答えはいくつもないのである。なにごとか美しきもの、なにごとか正しく豊かなものを作ろうとするのである。それには祈りのようなものも捧げられなければならないのではないか…。

 今展の新里明士が制作上の所感のようなものを書いてきてくれた。彼の作るものは優に美しい。そして彼にも本当に言いたいことがあるはずである。言葉にする必要はない。できないだろう。しかしそこへの回帰、自問自答を忘れずに作っていってほしいのである。

        ―装飾と用途―
 光器(白磁の蛍手)では模様による装飾効果を極力減らすように制作してきました。装飾という言葉が持つ表面的な感じに作品自体が呑みこまれてしまうのが怖いので。しかし、技術的には穴を開け始めた時よりも進歩しより微細な穴の模様が可能になってきている。それでもわざわざシンプルな模様で穴を開けるのは、最初のコンセプトを曲げない為なのか? だけど、目指すところを常に変化させつつ制作したいという気持ちもある。最近は模様の装飾性も認めながら、それに負けないだけの形を作っていきたいと考えています。用途や機能性についても同じように、昨年一昨年の「試みの茶事」での経験から、機能というものが、使い易いことだけではないのも、改めて感じている。取り合わせや空間の光なども用途として考えることができるのならばもう少し自由に作品を作ることが出来そうです。もちろん始めに目指していた物も忘れることのないままに。 新里明士記

葎

AKIO NIISATO
1977 千葉県生まれ
2001 多治見市陶磁器意匠研究所修了
2003 初個展
2004 “非情のオブジェ”出品
     東京国立近代美術館工芸館
     “MINO CERAMICS NOW”出品
    岐阜県現代陶芸美術館
2005 ファエンツァ国際陶芸展 新人賞
2008 第8回国際陶磁器展美濃 審査員特別賞
     第3回パラミタ陶芸大賞展 大賞
     SOFA CHICAGO 出品
2009 第3回菊池ビエンナーレ 奨励賞

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