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photo:来田猛

佐藤敏展Satoshi SATOH

The Times and B.Satoh

9/23 Sat. 〜 10/11 Wed. 2017

 佐藤敏。1936年、昭和十一年生まれ。時にふらっと当方へ自転車で立ち寄られる。皆は先生をビン先生と呼ぶ。いまだお元気である。最近、夢を見てしょうがないとおっしゃる。人は年経ると、レム睡眠が多くなるらしい。そのときの脳波は覚醒時に似るという。へんな夢らしい。そんなに見るなら、絵入りの夢日記でも付けてみたらと、半分本気でおすすめしたりしている。デッサンのようなものとして、作品に生かすことができないものかと思うのである。この人の脳ミソの底を窺ってみたいといった勝手な興味もある。その他、昔語りなど話はいささかアクロバティックではあるが、興にのればいろんな思い出話を聞かせてくださる。この世にあって八十有余年、先生は先生なりに、時代のなかの自分を生きて来られたわけである。
 先生は静岡は掛川の生まれである。だいぶ以前にその来し方を聞いたことがある。父上は職業軍人で、先の大戦ではミンダナオへ出征されたとの由。生還されたかどうかは聞かなかった。終戦時に先生は九歳ということですでにもの心のつく年ごろである。おそらく軍国少年であったのだろう。先生ご自身の戦争体験は聞いたことがない。しかしこれもおそらくだが、あのとき都市という都市は焼き払われたのだから、上空の米軍機くらいは見たであろうし、爆撃や機銃掃射といったものも見ておられるのかもしれない。あの時代は子供心にもつらく、不安なものだったのではないか。戦い終わって八月十五日からもしばらくは、なにか恐ろしい怪物のようなものがかなたから地ひびきを立ててやって来るような怖さを味わったのではないかと思われるのである。
 戦後、先生は新制中学校生となる。絵筆を取り始めたのはこのころとのこと。絵心というかその方面の才能は概して早くに芽吹くものなのだろう。絵描きになろうと思っておられた節がある。その後の、十九で京都に出て来られるまでのことは詳(つまび)らかには知らない。「不良少年したはったのですか」と聞くと、だまっておられた。思えば十代の青春というものは、将来が期待されるだけで、現実にはまだなにも出来てはいない。何者にでもなれそうな気がするが、まだ何者でもないということに不安とか悲しみがあり、また高ぶりのようなものもあるのだろう。なにをどのように希望しても、それが少しも今現在の事実とならないわけで、そこにやるせなさ、虚しさを感じなければならないのである。勝手に忖度すれば、この時期の先生も例外ではなかったろうと思われる。
 さて京都との縁は、昭和三十年ころ、友達と一緒に観光で来たのがそもそもの始まりらしい。筆者にはバガボンドのごとくふらっとやって来たといった印象である。絵画で立つかという気持ちもあったと思うが、それがなんでやきものだったのか、わからない。しかしやきものには絵付けという絵筆を揮(ふる)える世界がある。また目の前でかたちになるという立体の世界でもある。そこで先生は踏むべき道を踏むように、府立の陶工訓練校に入り、二十一で卒業する。たしか当時の訓練校は、半公務員扱いで給料が出たはずである。このへんの立ち回りようはまことビン先生らしく敏速かつ如才がない。訓練校を出たあとも先生の面目躍如で、とにかく身のこなしが軽やかである。五条坂のあちこちの窯元を渡り歩くのである。渡り職人のように。この間ほぼ十年。見るべきものは見、経験すべきものは経験されたようである。いっとき、茶道具屋にもいたのか、頻繁に出入りしたのか、そこはあいまいだが、またどこの茶道具屋だったのか、しつこくは聞かなかったが(取りすがろうとすればするりと逃げられる)、いたようなことを聞いて、さすがにこの人らしいと思わせられたが、このあたりはまた聞いてみたいと思っている。それにしても茶道具屋にいたとは…。不思議な人である。
 当時、昭和三十年四十年代のマニュファクチュア盛んなりしころの五条坂界隈は、とても濃密な空間だったであろう。このころの先生の思い出話は、すこぶるおもしろい。あのころの情景、風俗とか人間模様といったものを、ユーモアとペーソスを織り交ぜながら活写される。ユーモアのなかに哀感を感じる。郷愁もある。あのぎょろりとした大きな目で、するどく観察しておられるのである。筆者は、一瞥あるいは一言をもって対象を喝破する先生のするどい独特の観察眼には、つとに畏敬の念を持たされてきた。その目は、理性とか知性の目というより(知性がないといっているのではない)、感覚の勝った、感覚によって本質を透徹する目である。いってみれば生まれながらの曇りのない子供のように澄んだ目、もちろんその目には先生独特の屈折レンズが介在するのだが、そのような目を、いまだ失わず持っておられる人だと思うのである…。ここまで来て紙数が尽きた。とまれ昭和三十年に、外部である掛川から京都のやきもの界に稀人(まれびと)来(きた)れりということだったのである。陶芸という自己実現の手段を我がものとした先生は、それ以降、得がたい先輩や友達、得がたい結縁に浴し、才気煥発、戦後の現代陶芸に刻印さるべき活躍をされることになるのである。そのへんのお話はまた機会あらばということにて…to be continued.

葎

Satoshi SATOH
■経歴抄録
1966~80年 走泥社展
1977年 現代美術の鳥瞰(京都国立近代美術館)
1979年 今日の日本陶芸展(アメリカデンバー美術館)
1982年 現代陶芸・伝統と前衛(サントリー美術館)
1986年 アメリカ・東ヨーロッパ巡回日本陶芸展
1991年 現代の陶芸1950~1990(愛知県陶磁資料館)
1993年 現代の陶芸/うつわ考(埼玉県立近代美術館)
2001年 京都の工芸1945~2000
     (京都、東京国立近代美術館)

1988~96年 京都精華大学美術学部教授
1996~02年 京都市立芸術大学工芸科教授

パブリックコレクション多数

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