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photo:Takeru KORODA

デレック・ラーセン展Derek LARSEN

Coincidence and Will

8/11 Sat. 〜 26 Sun. 2018

 筆者はここ京都で商いを始めてすでに長いのだが、ここまで続けて来られたのはひとえに作家の方々、それに顧客の方々のおかげによるものと心底思っている。こうして今あるのは、カツカツではあったが、なんとか勘定が回っていたということなのだろう。三十数年という来し方を顧みれば、ラッキーだったのか、なんで続いたのか、不思議な気がしてくる。しかしそこは商売である。カツカツ以下のミゼラブルな状況も過去になかったわけではない。絶望に似た経験を舐めることだってある。商いするということは、一面で恐ろしいものがあるのである。
 商売するなら手形は決して切らないというプリンシプルは持すべきである。しかしこれがなかなかそうはいかない。決済期日にはなんとかなるだろうと思って切るのが手形なのである。その場しのぎというやつである。筆者の場合、手形は使わなかったが、結構な額の小切手を先付けで渡したりしてきた。先付けの小切手は手形も同然である。それは金を借りているのと同じ状態なのである。今もその悪癖は以前ほどではないが抜けない。
 あるときある人(作家)にそれを渡したはいいが、期日が迫ってくるのに金がないということがあった。あちこちと算段に走り回ることになる。あちこちがどういうところか具体的には言わないが、まあ金を求めて苦しまぎれの奔走をするわけである。夏の熱い日だったりするとまことこたえる。万事休す、こうなったら小切手を渡したご本人に頼んで、金融機関にストップをかけてもらおう。しかし連絡すれどもその人がつかまらない。そうこうしているうちに銀行が閉まる三時が近づいてくる。真正の万事休すとなり、やむなく覚悟を決めて銀行へ行く。どこかから入金でもあればなあ、しかしあっても足らないだろう…。銀行には今回は不渡りになってしもうた、好きにせいと言うつもりで、通帳に記帳して見たら、あら不思議、金が入っているではないか。それも決済に足りる金が入金されている。これまで何度もお支払い下されとお願いしていたが、なかなか支払いのないお客さんからの送金だったのである。もらうのを半分あきらめていた売掛金が、その日一日のかけずりまわりの挙句の、万事休すの刹那に入って来るとは…。そのお客さん、宝クジでもないだろうが、何かいいことでもあったのか、その日その時、ちょうどたまたま金を持っていたのだろう。じゃあ払ってやろうかという気持ちになって下さったのだろう。こちらの全く期待も予期もしないことだった。なんとラッキーな。こちらの万事休すと、そのお客さんのたまたまが、ピンポイントで合致したのである。これを偶然というのではないか。しかし一方で、あまりにうまくいきすぎて、偶然とも思えないあやしい気分になってきたのを覚えている。
 お話変わって、写真のデレックラーセンの尺鉢、これは穴窯で焼かれている。土はキメをこまかくした信楽の土。うつ伏せで焼いている。薪は栗の木である。裏もお見せしたいが、重層的なディテールと深い陰翳が現われていて、一つのコスモスを見るようで美しい。品もある。長石系の釉を施していると思っていたが、焼〆らしい。白くまだらに広がる叢雲(むらくも)のような景色が不思議である。目跡が一つ尾を引いて彗星のように突っ切ろうとしている。さらに描写すれば、白っぽい、長石の半融けのようなテクスチュアのなかで、淡いオレンジ色の火色というか火変りが美しい。そこが光線の加減で金色にラスター化して輝く。
 ラーセンは、これを窯の一番奥の、地面すれすれの一番下の位置に据えて焼いている。煙突のすぐ近くである。ほとんど灰の飛んで来ないところだが、煙突による引きの強い場所であろう。そして約三十時間、同じ温度で還元と酸化を何度もくり返すという。もう一つこの窯の特徴として、焼成すると水が上ってくるということがある。水といっても、水蒸気が窯のなかに出てくるのだが、これが還元作用に微妙な影響を与えるのである。水の上ってくる場所もときに変化するという。彼のこの作は偶然の賜物だろうか。
 たしかにそうとも言えるが、彼の偶然は、彼のみが所有する、彼だけに降ってくる偶然なのである。経験と知識に基づいて、意志と選択を働かせた上での偶然だといえる。彼の所有するこういう類の偶然を、蓋然(がいぜん)というのだろうか。蓋然といっても必然とは違う。ままならぬものでもあるのだろう。しかしながら、そこに意志と選択が働いているという意味で、彼は偶然を友とし、同時に超克しようとして、自由裡にことをなしているのだと思う。上述の筆者のラッキーな偶然におのれの自由などはない。ただ自業自得の因果の果てに、たまたま降ってきたハッピーエンドに過ぎない。作家としての彼のこの自由、必然ではないが蓋然を自身の掌中にしておくためには、なにか善美なるものを想起する力というものが要るのではないか。その自力の力とはやはり理性というか知性なのかもしれない。インスピレーションとて知性のないところには湧いてこないのではないか。彼をして作家たらしめるもの、彼にはそれがあると思いたく思い云爾(しかいう)。-葎-

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