• home
  • gallery
  • schedule
  • shop
  • access
  • contact
  • information
  • news
お問い合わせ プロフィール
  • 〝良寛さんの〟茶碗、取り皿
  • 〝良寛さんの〟茶碗、酒盃、取り皿
  • 〝良寛さんの〟茶碗 高6.5cm.tall 径10.5cm
  • 〝良寛さんの〟酒盃 高4.5cm.tall 径7.5cm
  • 〝良寛さんの〟取り皿 高3.5cm.tall 径13.0cm
photo:Takeru KORODA

梶原靖元展Yasumoto KAJIHARA

The Beautiful Stone ware

11/13 Sat. 〜 28 Sun. 2021

 禅の公案に、南泉斬猫(なんせんざんみょう)というのがある。晩唐の南泉という和尚の逸話だが、あらあら以下のような話だったと思う。ある日禅堂で雲水たちが、ねこを前にして、ねこにも仏性ありやなしやと問答を始めていた。そこへ南泉和尚がやってきて、小賢しいとでも思ったのか、いきなり刀を抜いてねこを斬り捨てたという。これ如何というお話である。実話なのだろう。今の私たちにはショッキングな話だが、禅宗にはこういった謎かけがたくさんある。
 もし筆者がその場にいたらどう返答するだろうかと考えたりする。おそらく口からでまかせを言いそうである。無理だろうと思う。それは言葉とか文字を超えた不立文字の世界のことなのではないか。いつだったか大徳寺のある和尚に、このねこ斬りの意味を問うてみたことがある。和尚はなにか言ったが、それが真の回答だったか、和尚なりの考えだったか、筆者の腑に落ちたのかどうか、もう忘れてしまって覚えていない。自分の頭で考えて得心しろということだろう。
 釈尊は一切衆生悉有(しつう)仏性と説いたのだから、ねこにも仏性があるとしたらどうなるのかといった問答は、ある種哲学問答のようなもので、それ自体をアホかといきなり猫を切ってしまうのは無体な話である。しかし現代というこの時代、この国に棲む自分の視点で考えてみると、ああそうかなるほどと、うすぼんやりだがわかるような気がしてくる。
 近頃この国では人権という言葉がなにかにつけやかましく言われる。ないがしろにされているという謂いで使われている。しかし人権なるものはどこから湧いてくるのか、降ってくるのか。それは自然権でもなければ、王権でもあるまいし神から下されるものでもないだろう。人権は自由という概念というか価値と、因果でいえばほぼイコールの脈絡があると思う。人権は天から降ってくるだろうか、地から泉から湧いてくるだろうか。それを生まれる前から具わっているかのように人権のことをいう。また、人権を担保するもの、その最終的な守護者はだれなのか。はっきりいってそれは国家社会であろう。インターナショナルにそれを求めてもイリュージョンに過ぎないのではないか。人権も自由も、自力によって、場合によっては血を流したりして、獲得し享受されるものなのである。そしてとてもフラジャイルなものなので、不断の努力によってかろうじて維持されるものなのである。そこをすっぽり忘れているか、考えたこともない人がどんどん増えて、衆寡敵せずといった体になっているように思われる。あんまり人権人権といっていると言葉自体で腐ってくるのである。もちろん世界には、人権を口にするのもタブーの国が現実に存在する。本来守護者であるべきはずの国家が、無惨な人権蹂躙を政策としてやっている国。しかしあれは自由との関連でいえば、人権というよりそれ以前の、人間性というかヒューマニティーの根本からの否定といった図のように思われる。あのような所業を隠して隠し通せるのだろうか。しかしまあ他国のことはさて措き…。
 人権は勢威を広げますます正義と化しているようだ。人は自分が正しいと言われれば、勇気百倍になる。思えば似たようなことは他にもいろいろある。格差社会の貧者であることを押し出す。主婦だとかシングルマザーとか、労働者であるとか、あるいは母親あるいは人間と名のれば、そこのけそこのけといった、ずいぶん思い切ったことも言えるようになるようだ。しかしおのれ一人が正義でもなければ、自分だけが人間ということでもないだろう。独善と一人よがりと夜郎自大が闊歩しているのである。
 南泉和尚が斬ったねこを、現在の人権とか似非(えせ)正義、あるいはぬるま湯的ヒューマニズムに置きかえてみると、ここで得心してくるのである。これらに対する否定面の認識が、ねこを斬らせるということになるのではないかと…。少しく牽強付会だったかもしれない。また和尚に意見を問うてみよう。
 もう恒例といってもよい梶原靖元展、今回で八回目となります。いつも意表をつく案内状用の作品を送ってきてくださるのですが、今回は〝良寛さんの〟茶碗と酒盃と皿の三点でした。手紙が付いていました。
「良寛さんは物を大切にされ、その中の一つとして、竹やぶの中から拾って来た茶碗一個を使い続けられたことから、自分なりに想像を膨らませて制作してみました。ーこんな感じの茶碗かな~?て!ー また良寛さんはお酒が好きな方なので、酒盃も作ってみました。ついでに取り皿も!」
 三点とも欠けがあって繕ったりされているのですが、実はこれらは発掘あるいは物原で見つかった古唐津だそうです(平戸系、武雄系とのこと)。素焼きの状態で梶原さんのところへ来たそうです。それを施釉し、本焼きしたものとの由。遊び心と古人へのオマージュといったものが窺われます。もちろんふところの深く広い梶原さんのことです。今回も新作でヴァラエティー豊かに構成してくださるものと期待が高まります。またお尻の美しい彼の作を見られることでしょう。ところで良寛さんも禅家の人でした。あまり多くを知りませんが、無一物を文字通りに生きた稀有の人というイメージがあります。大愚良寛和尚も、ねこ斬るべしならばすぱっと斬るでしょうか。想像してしまいます。何卒のご清鑑をお願い申上げます。-葎-

Gallery一覧へ戻る
Return to Gallery Page

本展の出品作品は、Shopページでご覧いただけます。
Pieces shown in this exhibit can be viewed, and, if available, purchased, on the Shop webpage. Please follow this link to the Shop and search using the artist's name, or navigate using the alphabetical list of artist names.

川端健太郎展
前の投稿2021年10月23日

川端健太郎展

澤谷由子展
次の投稿2021年12月11日

澤谷由子展

PAGETOP
2025 © utsuwakan inc, Japan. All Rights Reserved.