中世のドイツのお話、ハーメルンの笛吹き男は、街に発生したおびただしいネズミを、妙なる笛の音で川まで連れて行き、残らず溺死させた。しかしハーメルンの人々は、ネズミ退治の報酬を男に払うという約束を反故にして与えなかった。後日ふたたび現れた笛吹き男は、お前たちの大切なものを代りにいただこうといって、笛を吹き鳴らしながら街路を練り歩くと、街中の子供たちが家から出てきて、憑(つ)かれたように笛吹き男に付き従ってどこかへ去り、二度と戻らなかったという。これは寓話で、寓意はいろいろに解釈されるのだろうが、筆者は男の笛の音に踊ったネズミと子供たちに、我も含めた私たち人間の抜きがたい習性といったものを見る思いがする。
人はそそのかされ、吹き込まれ、脅され、あるいはなだめすかされれば、回りを見て団体でラッシュする。人はみなマネッ子である。人は自分で考える頭をほとんど持たない。あたりをうかがいもの言う存在である。行動し行動させられる存在である。思想とかイデオロギー、風俗や流行に冒(おか)され一丸となってラッシュする。一丸とならない者を村八分にする。人の一生は、他人の思想や言行を、無自覚に演じ続けて一巻の終わりといったもののように思われる。私たちはハーメルンの寓話を、何度目(ま)の当たりにしても懲りない面々なのかもしれない。
お話変わって、人はみなマネッ子といったが、芸術ということになると、芸術は創作を至上とする(ということになっている)。芸術は崇高な人間精神の発露であるという。おおげさにいえば、おのれ一人(いちにん)の、この世にただ一つのものを作らんとし、それに永遠の生命を与えんと欲するのである。無からの創造とまでいう。芸術はたしかに人間精神の高みからしか生れ得ないものであろう。それはそうだが、あまりきれいごとは言わぬほうがよい。芸術といえども、ウソとモノマネから免れない。文芸作品は、ウソ(フィクション)とマネなしでは成立し得ない。絵画も根本に写生というモノマネ行為を宿命づけられている。絵画はすべて極論すれば、あれは絵に描いた餅なのである。本物の餅のなかの餅はどこか別にあるのである。すなわちウソとマネをすべて消し去ってなお創作であるのは、神の世界の出来事においてしかないのである。
しかしながら、芸術がウソとマネと虚であることは許されるのである。それは単なるイージーなモノマネとはちがって、いわば神まねびのようなものであって、断片的であろうとそのモノマネ行為は、安易に、無抵抗に、無自覚に行えるようなものではないからである。それは工人が、靴とか家具とか家を作るのとは趣きを異にする。いわば芸術の人には、神まねびのための免罪符が与えられているというべきか。その免罪符に値し、応えられているかが作品とともに問われるのである。
ふたたび所詮この世はマネッ子の世界である。芸術の人は、身辺から、他者から、この世もしくは形而上の世界から、あるいは過去の偉大な達成からインスピレーションをもらい、いただき、パクリ、盗まずして、なにを作ろうというのか。なにか美しく、あるいは真に迫ったものを作ろうとするなら、同じく真に迫ったウソとモノマネに徹するしかないのである。そして僥倖にも抽象に成功し、上々の、畢生の作品をものすることができたら、あとは抜けがらとなって、憑きものが落ちたようにただの人に戻るのである。芸術の人というのはそういう人種なのではないか。
中村譲司(じょうじ)との縁は、学生時代からの長きに渡る。彼はディテールにまで高度な技術の跡を行き渡らせることのできる人である。彼の作るものは首尾上々というか、細かい神経が行き届いたような出来映えを見せている。洗練の風情といったものを湛えて美しい。そういうものが作れる人である。彼の技術がもたらすものなのかもしれない。しかしその技術の向う側にある彼岸では、技術はあくまで従僕としての地位にあるのだろう。彼はまだまだこれからの人である。これからの長い時間を耐えるために、また作家であるためには、変化と移動が求められる。そのためにはアンテナをより高く伸ばすような心持ちで、かすかなものにも鋭く感応する心魂を養うことが肝要に思う。そして心魂がふるえるような波長を感じたら、これいただき!あれいただき!といった狩人のような姿勢で行っていただきたい。マネればいいのである。そして独自の翻案を加える。そのとき彼の技術が助太刀するだろう。すなわち真に迫るモノマネ芸を彼一流に磨いて行ってほしいと思い云爾(しかいう)。
中村譲司さん二度目の個展であります。何卒のご清鑑をお願い申上げます。-葎-