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photo:Takeru KORODA

豊増一雄展Kazuo TOYOMASU

Wandering Upstream

11/11 Sat. 〜 26 Sun. 2023

 もう十年ほど前になるだろうか、初めて豊増一雄の作品をまとめて見たのは。場所は法然院だったが、会場の講堂に一歩踏み入れば、そこは浄化された清々しい微風が頬をなでるようだったのを思い出す。一点一点つぶさに見なくともそれはわかるのである。それを契機のご縁ということになった。
 豊増は1963年中国上海生まれである。ここで彼のルーツ的なところを述べたい。彼の父上は1936年生まれのいわゆる中国残留孤児である。今も八十七歳で日本にご健在である。父上は敗戦時に旧満州のソ満国境あたりにいた。ソ連軍は降伏文書調印後に入って来たのである。お得意の火事場泥棒である。飢えかつえ、こごえ死ぬような夜寒、地響き立て迫る恐怖。一家は一人欠け、二人欠けし、父上一人命永らえたとのことである。神も仏もない状況は、私たちの安易な想像を許さないものがある。そんななか、ついに父上はとある寒村の農家に拾われ生をつなぐことになる。当時八歳、すでに物心ついている年齢である。労働力として見られるということがあったろう。しかし絶体絶命の境にある子供を捨ておけないといった惻隠の情もあったのではないか。養い親は字が読め、風水か八卦か、占いのようなこともする人であったという。地方の農村におけるインテリ的存在だったと思われる。父上は不幸の極みから一転、辛うじて生への賽(さい)の目に邂逅(かいこう)できたのかもしれない。数奇な運命と言わねばならない。
 利発な父上は長じるにつれ向学の志高く、養い親の理解も得てだろう、奨学金を受けながら美術大学まで進まれる。彫刻を専攻したとのこと。その後、教職についたこともあったがそれを辞し、景徳鎮の国営工場の研究室に彫刻技師として就職する。細工物とか立像の塑像を作るのである。景徳鎮の中心部広場の十メートルに及ぶ毛沢東像も父上の手になるものとの由。このころ豊増は父上の仕事の傍らで土遊びをしていたらしい。彼の原体験かもしれない。そして父上は三十代後半、1974年に残留孤児として帰国を果たす。それまでは貧しくとも平穏な生活を送れていたという。このとき豊増は満十歳だった。
 1974年といえば、あの文化大革命のさなかである。中国共産党内部の権力闘争がまねいた内乱のようなものだった。それは古来の伝統文化を破壊し、西欧的なるものはすべてブルジョア的としてほとんど根絶しようとするものだった。そしてその愚行や残虐は今日もタブーとして蓋をされている。子が親を、生徒が教師を密告し、同じ同朋、同じ民族が直接に糾弾し合い、つるし上げる。直接的な侮辱や暴行や虐待によって殺されていく。それは肉体においてよりもむしろ精神的に苦しく、精神的に無惨なことだと言わなければならない。父上は、あの文革なくば帰ろうとは思わなかったかもしれないという。しかし教員時代の教え子のなかには、出自をばらすぞと言って脅迫する者もいたという。つるし上げられそうになることもあったらしい。常に身の危険を感じていたということである。
 過去の中華文明は偉大だった。私たちにとっての世界文明だった。その芸術や思想、文学は、私たちに絶大かつ決定的な影響を与えてきた。今でもそれらは遺伝子のごとく私たちの奥深くに刷りこまれている。しかし現在の中国があの偉大な文明の連続体といえるかどうかは疑問である。連続体の上に今日の世界文明である西欧近代文明を吸収し、学んで、まともな近代化に向って離陸しようとしているだろうか。この一二世紀を見ればとてもそうは思えない。皇帝あるいは一党一派による独裁専制のならいは何千年来改まらない。いまだに宮廷政治である。かすかに残る願望としては、独裁専制であっても、せめて伝説の尭舜(ぎょうしゅん)の世のような徳ある治者が現われないものかと思うのみなのである。
 ここまで来て、とはいえと言っても紙数が尽きるが、彼の国の陶磁は、凍結されて現物が残されてあるからして、今日であっても私たちにとっての世界史であり世界文明である。遡ればほとんどそこにたどり着くようなオリジンと発展系を擁する世界文明なのである。それに比べればまあわが国のやきものなどは児戯に類するものなのかもしれない。
 豊増も自身の制作においてはいわば遡上の人である。唐津から初期伊万里、そこからダイレクトにリンクする朝鮮、そして彼は当初より青花(染付)に執心していたから、朝鮮から景徳鎮となる。枝葉をのばせば遡上の途は無限である。遡ればその下流域がわかってくるだろう。遡上により有田がわかってくる、日本がわかってくるという。そして遡上の各所いろんなところで、そことは異なる時と場のエレメンツを遠望し、こき混ぜる。そこに面白みを感じているという。筆者は、彼は陶磁史の世界史的な視座に立って作品を生そうとする人だと思う。スケール感がある。そしてそのバックボーンには、父上の存在があるような気がするのである。
 今展では祥瑞、薄胎の青瓷、白瓷、印花、刻花、新味として耀州窯風の刻花を試行されておられる様子です。何卒のご清賞を伏してお願い申上げます。-葎-

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