自然釉の焼締め陶をすなる人は、傾向として他力的な偶然に身をまかすきらいなきにしもあらずで、筆者などの目にもそれとわかるときがある。偶成に頼りすぎているなと思うのである。そういう類のものには作者その人が現われ出ていない。それがわかるのである。あとから偶然を必然と思いたがるのが人の常ではあるのだが…。やきものに全き必然を期待しても不可能なのだろう。偶然と蓋然と必然でいえば、蓋然あたりの確率で歩留りが取れたら上々とせねばならないのではないか。そこからの向上を期すということか。しかしそれもままならぬことなのだろう。やはりどうしても気まぐれに偶然が働くのである。しかし偶然を味方にすることはできるだろう。偶然を神頼みではなく、自力で蓋然の領域へ移そうとする意志があるかどうか。その蓋然性を掌中のものとするためには、経験と知識に依っておのれの意志と選択を働かせねばならない。偶然を自身のために降ってくる偶然となすのである。偶然を友とし、同時に超克しようとして、自由裡にことをなすのである。それが作家というものであろう。その自由を希求させるものはなにかといえば、心の奥底に眠る美と真を想起させようとする力、その人の全人的な心魂のなせる業なのだと思うのである。
今回も作者にコメントをお願いしお送りいただいた。読めば真摯でまじめすぎるほどのものとも思われたが、もの生す人ならまじめでなくいられようか。ある種哲学的な風情も感ぜられ、筆者の知らない彼の一面を見る思いがした。その通りだと思えた。原文は後掲したが、付け足し勝手な和訳となってしまったことはご寛恕のほどを…。
「私がいまやっていることはやはり美を求めてのことだと思います…。窯と炎が織りなすいろいろな現象に興味を覚えます。その現象は、私にも科学的にある程度説明ができるものです。私の憧れる景色を得るために、そういった科学的側面を解き明かしたいと思う好奇心も強いです。しかしそれ以上に、私はやきものそのものが持つ大きな価値とその饒舌さに包摂されてしまいます。私は、手跡だけでなく自分の人間性までが刻される土の力を信じています。頭で考えたことを心へと、心の奥底に流れるものを手指に伝えるという精神の流れを大切にしたいと思っています。古いもの、新しいもの、そして自身のパトスとの間を往還しながら、能うかぎりのよいものを作っていきたいです。そこには私の性格や資質、生き方を含めたすべてが現れ出ると思います。私はただ作るということを追い求めたいと思っています。遅々とした歩みですが、いつの日か窯焚きを繰り返すなかで、自然の力を借りながら自然と一体化するような特別な感覚や瞬間を経験したいと思ってやっています…」。(デレック・ラーセン)
My ceramic research is an exploration of the beauty of kiln effects and fire phenomenon. These firing effects can be explained scientifically. However, despite curiosity toward the techniques to achieve these effects, it is the communicative ability of the ceramics themselves that possesses the greatest value. I believe in the power of clay to not only record my touch, but also my humanity. I strive for a subconscious flow from head to heart to hand. Oscillating among historical, contemporary, or internal influences, my best expressions in clay reveal my true character, my materials, and my way of life. I seek only to create, firing by firing, a slow maturation of a specific sensitivity in collaboration with nature.
本展で七回目のデレックラーセン展でございます。何卒のご清鑑を伏してお願い申上げます。-葎-