天変地異ということでは、今のところ京都はのんきなものだが、いつなんどきなにが襲ってくるか、いずこの誰にも知れたものではない。古人鴨長明は方丈記のなかで、大地震のことをドキュメント風に活写している。その他の災厄では、大火台風飢饉遷都といった、人為のものもあるが次々と打ち続く激変を、こと細かに描写している。その内容は凄惨である。そうしてこの世の無常の光景に、少しく傍観者的虚無的ではあれ、諦観というか仏教的救済を見ようとしていたように思われる。
阪神淡路大震災以来、ここ三十年余の地震の起きようは尋常でないように思われる。頻発すぎるのではないか。長明が今におれば、ついに末法の時代の往きつく先まで来たぞと書きそうである。直近では連続して二度、能登が大地震に見舞われた。その間豪雨による甚大な被害も加わった。彼の地の人たちは神も仏もないものかと思ったであろう。今展の篠原敬も、あの三度の大変のなかにいた。まともにもろに痛打されたのである。あろうことか二度目の地震は元旦だった。一年を経ない二度の地震や泥水害は、彼を打ちのめすのに充分なものだったのではないか。慣れ親しんだ窯は崩壊し、やっと再建した窯もつぶされたのである。
まるで聖書のヨブ記を想起させるような日々だったと思うが、しかし彼は再起した。それが彼の意志だったのである。もうやめた、もうええわと思うのは、一再ならずだったと思うが、そうするしかなかった、そうさせたものはなんだったのかと筆者は考える。それは個と全体との自己同一性があってのことだったと思うのである。彼の場合は、能登の風土、歴史、伝統といった、その共同体の文化が、篠原という個を包含していたのだろうと思う。人の助けも含めての話である。文化というものは、いわゆるイデオロギーとは違って、血に根ざしている。多様性の喧伝によって簡単にうすめられてしまうものではない。能登には濃密な文化が息づいているように思われるのである。それが彼の再建、再興を後押ししたのだと思うのである。それが彼に再びの発心をうながすに価するものだったということである。
彼が連絡しているのは千年来の故郷のやきものである。過去に一度ぷっつり絶えてしまったが(これも地震だったのかもしれない)、遺るものは遺っていた。それらは黒のグラデーションとともに静まりながら光芒を放っている。最も必要なものだけの、いわば抽象に抽象を重ねたような、そぎ落とされたミニマルな相貌を具備して。珠洲は歴史的経緯に謎多しといった感があるが、それがかえって珠洲焼に神秘的な陰翳を与えているように思う。いにしえの珠洲焼の尤品は、清浄な原初性を帯びている。それが私たちには、抽象されつくしてそこにあるという様子に見えるのだと思う。私たちの失った多くのものが抽象されていると、それがなんとなく本能的にわかる、真実性と普遍性が垣間見えるのである。今と昔を比して、きれいだなあと思う、失楽園への郷愁のようなものなのかもしれない。篠原をして再々の登攀を発心させた由縁は、だからその辺との自己同一性だったと思われるのである。
本年三月に奥能登珠洲の篠原の工房を訪ねた。再興なって、あらためての初窯を焚いたのである。レンガ造りの窯は鉄のタガでがっしり支持されていた。本体から別構造の煙道というか煙突部分は、途中まで地を這わせ、そこから直角に立ち上がっていた。炎の引きを強める新たな工夫であろう。渋い黒は珠洲の特徴で、珠洲土の内奥に秘められていたものが、顕われ出でたといった印象である。あるいは篠原によって抽き出されたというべきか。写真の高一尺ほどの瓶は自然釉である。姿に品があり美しい。古典からの翻案と洗練が窺われる。釉垂れの先の珠がブルーに輝いている。初窯でよくぞこれが収穫できたものだと思われる。自然の作物のような、なにか大いなるものに一切を委ねきったのちの果実のように見えてくるのである。
篠原敬展、弊館での初個展であります。何卒のご清賞を伏してお願い申し上げます。-葎-
photo:Takeru KORODA
篠原敬展Takashi SHINOHARA
Peninsula Ethos for The Overcoming
6/27 Sat. 〜 7/12 Sun. 2026




