水元かよこにおけるインスピレーションの湧きようには、なんというか、ものぐるおしくもあやしいものがある。案内状の撮影用に送られてきた作品は、チェス盤と駒一式だった。少しく意表を突かれる思いがした。盤の側面に「ものぐるおしい茶会へようこそ」といった英文がある。しかし作者に聞いてみたらこれのモティーフは、ルイスキャロルの「鏡の国のアリス」ということで、ああそれならと腑に落ちたのである。筆者は若いころ文庫本で読もうとしたことがあるが、なんだか翻訳がだめなのか、訳しようがないのか、キャロルの熱心な読者にはなれなかった覚えがある。あまりその気はないが今ならファンタジーとして入っていけるだろうか。アリスは鏡を透りぬけて、チェス盤上のいろいろな駒となり、市松模様のマス目を動くたびに異次元の世界へ脈絡もなく放り込まれ、幻想的というか夢幻的な経験をしていく。最後に女王の駒になったところで夢から醒めるというのが乱暴なあらすじである。ひとことで言えば、英国流のシニシズムとかユーモア、狂気とか教訓も匂わせた、高度に詩的な夢物語、ファンタジーといったところか。
夢の世は夢もうつつも夢なれば醒めなば夢もうつつとぞ知れ、という御詠歌があるが、まことにと思わせるものがある。夢は眠っているときに像が結ばれるが、悪夢もあれば、望みがかなったような嬉しい夢も見たりする。変な夢を見て寝汗をかきつつ目覚めたときなど、夢とうつつの区別がつかない瞬間がある。そんなとき夢でよかったと人は思うのである。眠りは、その人だけの絶対無二の孤独の世界へ沈んでいくときである。そして睡眠は、その底のところで死に接しているようなものだともいえるのではないか。私たちは目覚めるたびに共通の世界に戻ってくるのを繰返しているのである。ファンタジーという文学は、人が見る夢という構造になにかを仮託し、詩的にそれを表現するジャンルだと思う。宮沢賢治の銀河鉄道の夜も、仏教の法華思想を仮託し、主人公に銀河の鉄路を旅させながら、法華経のコアのところを暗に示唆しようとする一篇のミュートスだと思う。
と思いつつ水元のチェス盤をながめていると、彼女の意図もそうだったのだから、なるほどと思えてくるのである。要するに一瞥から離れて同情が深まったということである。想像の飛躍を促されるのである。それはこの作がよく出来ているということとも相まっている。盤の裏にも染付の絵付けがされており、そこかしこ物語に登場するものが散りばめられている。側面に見える帽子はエッグマンのそれであろうか。仔猫のキティもいる。盤は八寸強の四方で、側面ともに見事にフラットで、角のラインも直角を示しエッジがきれいに立っている。これの原料は陶石である。さぞ歩留まりは悪かったろうとその困難が想像される。
彼女はこの作で人生をゲームになぞらえてみたかったという。人生は偶然のかたまりともいえ、人間のやることなすことなど、ほぼ思いなしから成り立っており、過誤も多く、いいことをしようと思っても、またしたとしても望み通りにいくことはまれである。しかしながら人生ゲームの途上には、彼女いわく心躍らせる冒険や一発逆転の局面もあるわけで、そのようなオプティミズムを彼女はアリスの冒険のなかに感じているのではないか。
筆者は、彼女の作品世界も多分にファンタジーの様相を呈していると思う。独特の毒気が味付けされていることにもそれが窺われる。そのような作域が、繊細で達者な筆遣い、美しい九谷系の顔料、多彩なモティーフの配剤でもって実現されている。もしこのチェス盤が西欧でいうチャイナ、陶磁器だと知れば、ルイスキャロルも感嘆の声を上げ手を伸ばしそうに思われるのである。
一昨年来、二度目の水元かよこ展でございます。何卒のご清鑑を伏してお願い申し上げます。-葎-
photo:Takeru KORODA
水元かよこ展Kayoko MIZUMOTO
Her Journey to the Fantasies
7/25 Sat. 〜 8/16 Sun. 2026




