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  • 植葉香澄〝金銀彩波涛中宝尽し蓋物〟15.0cm.tall
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photo:来田猛

植葉香澄展Kasumi UEBA

Flooded Colors and Good Things in Her World

1/7 Sat. 〜 29 Sun. 2017

平成丁酉二十九年、謹んで新玉の御慶びを申上げます
本年も相変わりませず倍旧の御引廻し伏して御願い申上げます

 最近テレビで、難民たちが粗末な舟やゴムボートで海を渡ろうとしているシーンをよく見る。あれは現代のエクソダスである。次から次へと、命がけだろう。子供や赤ん坊などもいて、凍えて歯も合わずにいる様子を見ると、胸が一杯になり、不覚の涙をこぼしそうになるがそこはグッとこらえる。これはどういうことなのか。中東のあのあたりはすでに国境もくそもない状況である。そも一国の乱れは、必ず外患を招くというのが歴史の定理である。彼の地では、国家自体が崩壊状態にある。あの無惨なカオスの実体は、思惑たっぷりの大小の国々と野盗、野伏せりの類が入り乱れての、利得のぶん捕り合戦のようなものなのだろう。あそこには油井がいっぱいある。そこに宗教が乗じ、利用されている。宗教がらみになるともう厄介の極みということになる。このような悪はいったいどこからやって来るのか。なんとかことの本質を見極め、断固たる政治的選択をもって、これを鎮める人物は出てこないのだろうか。一旦緩急の際には、そのような英傑的、いけにえ的な人物がうまい具合に出てくるものだと思っていたが。いないのかもしれない。いたが殺されているのかもしれない。結局、昔の宗教戦争のように、殺してし已(や)まむというところまでいきそうな気がする。事態はさらに目も当てられないようなことになりそうな気がする。

 一方、つくづく私たちの国は平和だなあと思う。それがたとえ仮象であっても、今のところ外患の侵入を許してはいないので、たなぼたみたいなそれだが、根本の自由は享受している。政治的独立を失ってしまった民族のことを思えば、私たちは僥倖である。私たちはこれまでも大過なくそうであった。先の大戦で徹底的につぶしに来た相手国が、革命国家などではなく、まがりなりにも自由と民主主義を標榜する文明国であったことも僥倖の一つだったのである。しかしその後は外国軍に守られながら金を取られながら、ぬるま湯にどっぷりつかり続けてはいるが…。そのような仮象の平和をかくも長く享受している私たちが、此岸からあの難民の苦難の様子を目にしても、私たちの同情はどこまでも希薄なのではないか。しかし、仮定の話として、もしも彼らが彼岸からこちらへ押し寄せてくることがあって、何千何万いや何十万の彼らがここに住まわせてくれと言ってきたら、私たちはどうするだろう。初めは飛び上がって周章狼狽し、それから埒もない議論を戦わして後に、結局、なんの覚悟も決めることなしに受け入れてしまうのだろうと思われる。そのときの殺し文句は人権だろう。わが国は、人権は天与の、至高の権利であると信仰しているお国柄である。しかしその人権なるものは、一体何によって、誰によって護られ、保障されるものなのか。それは神だとでも言うのだろうか。

 こんなこと言って叱られるかもしれないが、筆者は人間に出来不出来があるように、国家にも出来のいい国家と出来の悪い国家があるように思う。単なる貧しい国が出来の悪い国という意味ではない。ちょっと前まで後進国という言葉があったが、二十世紀以来、後進諸国が一足飛びに共産主義や社会主義に飛びついて、採用したはいいが、ことごとく失敗している。そして結局は専制独裁である。それでいいのだが、私たちはその後それらの国家に、真の指導者や政治家を何人見つけることができるだろうか。不出来な国家が分際を超えてしでかす振る舞いがもたらす迷惑は、現代ともなれば広く世界が迷惑する大迷惑となるのである。自国の政治の悪徳、暴慢、抑圧、失敗、不始末に由来する自業自得の自分のところの困った状況は、自国内でなんとか始末をつけていただきたい。例えばあの何十万もの難民、もう民族移動の時代でもないのである。言っても詮無いかもしれないが、昔は、といっても結構遠い昔だが、世界のどこかで血で血を洗う内戦や地域紛争があっても、それが他に波及すること少なく、ほとんどが勝ち負けで確定的あるいはしばらくではあっても決着がついたのである。昔は、交渉万策尽きたら、問答無用戦争あるべしだったのである。それが人間のどうしようもない自然だったのである。

 なんだか今さらの失楽園めいた話になってきたが、いまこの世界がどこへ向っているのか、筆者ごときでも漠然たる不安を感じてしまう。この世には、たしかに極悪人が多くいる。しかし、謙遜な気持ちをもって、絶えず努力をしている最も多くの善良な人たちだっている。筆者は私たちの世界が紆余曲折しながらも、善なる方角へ向かうよう決定付けられている神の証文のようなものがあると信じたい。もしそれがカラ証文なら是非もない。しかしどっちにころんでも、私たちとこの世界は運命共同体なのである。一蓮托生である。それを知らねばならない。私たちはせめて、人間を疎外し、人間を否定するようなニヒリズムにだけは陥らぬようにしてなければならないと思う。そして覚悟し、希望し、努力するということを放擲してはならないと思う。

 今展の植葉香澄には失礼のようなことになってしまいましたが、この消息文がお手許に届くのは正月三ヶ日中のことと存じます。年あらたまり先ずはめでたく、写真の彼女の作も吉祥尽くしであります。エロース神と美を言祝ぐような、彼女無二の全肯定と生命讃歌の作品世界であります。何卒のご清賞を伏してお願い申上げます。-葎-

<新年は一月七日土曜より営業致します>

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