浅野哲氏へ
浅野哲(さとし)、1958年生まれ。88年に京都芸大の大学院を出ている。弊館でも幾度か個展をお願いしている人である。この人、30で大学院を終えているので、普通より6年、遅いというか多いわけである。その訳を以前に聞いたことがある。大学に入る前、何をしようかとぼんやりと考えていた期間が長かったらしい。浪人生活が五浪におよんだということでる。いわば無為の時間を過ごしていたということだが、その間、べつにあせりとか焦燥感などは全くなかったという。まことマイペースの人である。大学のほうは留年せず滞りなく出たとの由。
彼の作品は、多色の色釉によるモザイク文様を配したカラフルなものである。いわば色釉モザイク文あるいは色釉アラベスク文何々とでもタイトルすべき作品となっている。モザイク文様といえば、イスラムの世界では宗教的荘厳を表徴するためのものである。偶像崇拝は禁じられているから、これによって幾何学的、抽象的に神の世界というか、宇宙の大いなる秩序のようなものを表現しようとするのだろう。そういえば幾何学の源流はアラブ世界から生じたのではなかったか。ギリシャのユークリッドはその後の人である。
浅野の用いる色釉のバリエーションは40数色におよぶ。この40色以上の釉をモザイク状に、混じらず、縮れず、また垂れぬように、焼成というプロセスを経なければならないわけである。また、各色の呈色と彩度もマネージし、確保しなければならない。1ミリに満たない境界線を接して色釉が、所期の色を呈して、少し盛り上がりを見せながら画然たる様子で凝集している。このように書くと、その技法とプロセスに、ご興味を持たれる向きもおられるかと思うので、なるべくわかりやすく申上げますと…。
個別の作品によって多少違いますが…、まずは成形である。乾燥を待って、全体に極細のくし目というか引っ掻きを入れる。それから鉄分の多い泥土でドベ塗りをする。いわば黒化粧である。ここで一旦素焼き。素焼きしたのち、水洗いしながらサンドペーパーをかける。低火度だから化粧は落ちる。そうすると象嵌のように、引っ掻いたあとだけに黒化粧が残る。これが絵でいえば下塗り、背景効果となって、あとで色釉を透しての陰翳を演出する。さてそれから撥水剤でもって、モザイク文様を線描きしていく。専用のペンのようなもので描いていくのだが、万年筆のようにペンのなかに撥水剤が仕込んであるとのこと。線描きの文様を描き切ったら、白化粧をする。前述の黒の掻き落しの背景がかくれてしまわないよう、薄く化粧する。焼成により白化粧はある程度透き通ってくるらしい。撥水剤のペン描きによる線の上には、もちろん白化粧は乗らない。ここでやっと浅野薬籠中のパレットの出番である。色釉は各色いっぺんに全部乗せ置いていく。だからすなわち本焼成一発ですべての色釉を生かすわけである。1回ですべての発色を得るわけである。まことシンフォニックである。
概略以上のようなことであるが、これも浅野一人が辛抱強く追い求めて、獲得してきた技術的集積である。その技術の堆積の上に彼の作品は成っている。そしてその技術から一歩出て、彼はなにを実現しようとしているのか。それはやはり美であろう。彼の作品から匂い立つアラベスク的風情は、信仰とは関係ないのだが、その高度で細心な技術的プロセスのうちに、なにかイスラムの祈りにも似た美への祈りのようなものが込められているように思われる。機会あらば、また弊館でもその作品をならべていただきたく思う。彼はじっくりとマイペースで一つことを追い求める人である。これと決めて一つことを洗練、昇華せんとするのも一つの流儀である。そして彼のその継続のなかで、いつか畢生の作品をお願いしたい。例によって見物の残酷な願いであります。何卒のお心づもりをいただきたく思い云爾(しかいう)。-葎-
浅野哲展Satoshi ASANO
A Symphony of The Glazes
5/6 Sat. 〜 28 Sun. 2017