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photo:Takeru KORODA

原憲司展Kenji HARA

Aufheben!

6/24 Sat. 〜 7/9 Sun. 2023

 先日、個展のこともあり、原憲司に電話をした。話は一時間ちかくに及んだが最後のほうでは、お互い悲憤慷慨(こうがい)し、怒りのせんべいをバリバリかじりながらといった話になってしまった…。
 だいぶ前だが、筆者は原憲司の作品に脈絡づけて、かの進歩的歴史観の総元締、ヘーゲルとマルクスを引き合いに出し、作文をでっち上げたことがある。十九世紀を席巻したヘーゲルの進歩思想は、人はヘーゲルという名を知らずとも、いまだに脳ミソ深くにすり込まれている。遅れてやってきたマルクスは、ヘーゲルの亜流のようなもので、階級史観などという偏った歴史観によって一種の経済学説のようなものを説いた。共産主義社会を、未来の理想国家に見立てたのである。かならずそのように”進歩”して、未来ではそうなると予言した。マルクスはこの百年余りの間に、たしか二度三度と死んだはずだが、いまもって政治的宗教のようなかたちで、懲りない無邪気な人たちの間で生き続けている。
 しかしながら…、マルクスは現在から未来を展望して、頭の中でイリュージョンの橋をかけようとしたが、ヘーゲルはちがって、世界史は時代とともに竹が節をつぐように直線的に進歩発展していって、彼にとっての現在、すなわち十九世紀のヘーゲルが生きたゲルマン社会と、ヘーゲル自身の哲学において、世界史の完成を見ることになると説いた。要するに”現在が最高である”という考えが根本にあるわけである。マルクスは”未来が最高”であると…。普通に考えれば、現在が最高、未来が最高なんてことはだれにもいえないことである。しかしながらヘーゲルの場合は、現在が最高といえるためには、一つの大前提あってのことであると釘をさしている。止揚(しよう)、すなわちアウフヘーベンという必須条件を乗り越えてはじめてそれが可能だとしたのである。
 ヘーゲルは、当り前かも知れないが、大切なことをいっているように思う。ヘーゲルの考え方の根底には止揚という条件があって、それは、現在が最高であるためには、蓄積された過去の全てが現在におさめられ、その上で過去が乗り越えられねばならないというもので、精神的な発展は、ここでは哲学のことだが、放っておけば自然にそこに到達するというものではなく、絶えざる努力によってのみ最高の立場にいたるとした。ヘーゲルの進歩発展の考えは、過去の哲学のすべてが自己の哲学の内に取り入れられ、しかもそれに止揚の止、否定すべき否定を加え、それより一歩出るというのがそれであろう。通俗の、いいとこ取りの進歩思想とはちがうものがあるのではないか。過去を取り入れ、しかも過去に否定を加えて現在をつくる。アウフヘーベンである。
 芸術のレゾンデートルとはなんなのかということを昨今よく思う。筆者は芸術と哲学は同根の兄弟のようなものだと思う。どちらも驚きを始元とするからである。人は驚きに接して飛び上って立ち上がり、制作の場へ、思索の場へと向かう。その驚きの対象はなにかといえば、美であり、この上なく善きものであり、真実であり、人間というもの、あるいは人間であることであり、ひいては善悪正邪であり、人間の所業全般である。これらを抽象し呈示することで、芸術は人々に感動と気づきをもたらしてきたのではないか。そこには哲学同様、批評精神といったものを人々の心によび起こすという役目もあるわけである。
 ヘーゲル先生の進歩史観の哲学の影響はまこと根深い。曲解や誤解もあろうが、滔々(とうとう)たる影響をいまに及ぼし続けているのではないか。現在が最高なのである。新しければすべてよしなのである。しかしそこにはヘーゲル先生宣(のたま)うアウフヘーベンの欠落がある。わが国では現代美術、現代アート、現代陶芸、現代陶芸家と、やたらと現代を冠(かんむり)し過ぎるきらいがある。その冠にはほとんど名実がない、現代とかアートなる言葉を濫用するニセ芸術の跋扈(ばっこ)には目をそむけたくなるものがある。しかしこれも時代の趨勢なのだろう。原理的なものへの無関心が行くところまで行っているのである。
 原とは、そのような時代への違和感、不協和音がいやましに感ぜられて、鬱になりそうだというふうな話をしたのだが、彼にしてみればなおさらであろう。なぜなら彼は批評家清水穣(みのる)いうところの原理主義者だからである。いつごろからかの、現今の時代の趨勢、このまま昂じれば芸術は再び真に花開くことはないと思われる。もうルネサンスのようなアウフヘーベン的現象は起こり得ないだろう。真に迫らんとする芸術の人はすでに孤独のなかにいて面白くないだろう。
 原さん、原さんは孤独ですなあと筆者は口走った。しかしながら、筆者は知っている。渉猟と実証と想像力で、ときに妄想力でもって古人の息づかいまで感じ取り、過去のすべてを包含して、さらに高くイデア的なるものを希求している原の作るものがどうして倣古であろうか。彼はアウフヘーベンに耐えて、常に新たな一歩を踏み出さんとしている人なのである。-葎-

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本展の出品作品は、Shopページでご覧いただけます。
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