デレックラーセン展は初回がちょうど十年前でした。この度、回を重ねて六度目となります。彼はアメリカ内陸深くのカンザス生まれです。異邦の人です。その彼が生す作品を初めて見たとき、筆者はこれは外人離れしているなあと思いました。外人離れとは、いたく感銘して評価してのもの言いです。今までの経験にないような、このようなものが異邦人から出て来るのかといった、ちょっとした驚きもありました。そしていろいろ考えさせられました。
彼は伊賀信楽に執心してきました。伊賀信楽を自己の立つ瀬と見定め、作品におのれ自身の色を映し込もうとしています。焼〆陶、就中(なかんずく)伊賀信楽といったジャンルで水際立つことはなかなか出来るものではありません。そこで筆者は三回目の個展あたりから、信楽よりも伊賀中心で行ってほしいと彼にお願いしてきました。より困難なほうに挑戦してみてほしいと思ったのです。もちろん写しを求めてのことではありません。先発の信楽、後発の伊賀は、山一つへだてた兄弟のようなやきものだと思いますが、どちらかといえば瞬間最大風速といった意味合いで、伊賀のほうが高みにあると筆者には思われます。なんというか、世俗を遊離した聖性のようなものをその佇まいに感じるのです。
桃山のやきものの展開は、広範かつ壮観です。クラシカルなものを乗り越え、超出しようとする、いわばルネサンスのような開花があったと思います。桃山の元亀天正期といえば群雄割拠の様相を呈し、朝(あした)の生死(しょうじ)もままならぬといった時代でした。カオス的状況です。そんな目まぐるしくも渦巻くような混乱の時代に、どうして文化の花が咲き誇ったのか不思議な気がします。生死の瀬戸際が人をしてなにか形而上的な永遠なるものへと向かわせるからでしょうか。
そのなかで伊賀はどこか忽然として現れたような印象があります。伊賀の古窯跡は三ヶ所しか知られていないそうです。数少なく伝世のほとんどが茶道具です。天正期の伊賀上野城主、筒井定次は織部の弟子でした。織部は利休の弟子でした。その縁起は短い時間のうちに連綿されています。命と引き替えにしてもという審美の美意識も三人のなかで共有されていたと思います。そしてせり上がるようにしてあの古伊賀の出来(しゅったい)があったのだと思います。あっという間でした。
真白き風化岩を母胎として、還元の炎を浴び、量感みなぎり、灰色がかった巌肌、苔むす風情、赤褐色や黒の焦げ、そして清浄かつ聖性さえ帯びて、自然の妙が人為を経て収斂されたようなストーンウェア。それが伊賀であると思います。
異邦の人デレックラーセンとてその美に衝(つ)かれるところがあったのではないかと思います。彼は五度の窯築きの経験を持つ人です。何事も深く掘り下げていく人のように思います。作品の如く大胆と繊細の同居する人と目しています。今はもう古伊賀の土の採取はほとんど不可能だそうですが、願わくは、かの美を天上的なモデルとなし、長きに渡って彼ならではのエスプリを効かした伊賀を作っていただきたいと思うのです。何卒のご清鑑をお願い申上げます。-葎-
デレック・ラーセン展Derek LARSEN
IGA, An Abstract for Nature
7/22 Sat. 〜 8/6 Sun. 2023