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photo:Takeru KORODA

新宮さやか展Sayaka SHINGU

Continuation, The Hardest Thing

11/15 Sat. 〜 30 Sun. 2025

 毎度旧聞に属するような話で忸怩たる思いに悩まされていますが…、
 筆者はこの四十年余、もの作る人を見てきた。そして多くの人たちと接してきた。そのなかで縁の続く人もいれば、遠のく人もいる。縁というものは人間関係であるから、遠近濃淡があり、それが切れたりまたつながったりするものなのだろう。これにはお互いの相性というものも働く。縁遠くなった人のことを思い起こせば、なぜあのときにと、こちらの不徳と狭量を悔んだりすることもしばしばである。しかしお互いさまということもあるだろう。結局は来者不拒、去者不追の心持ちでいられれば、それが一番いいのではないかと思われる。
 しかし創作においてもの生す人というのは、非常に悩ましい人達のことなのではないか。創作にまつわる何やかやの行為を自らに課す人たちだからである。芸術は無から有を生み出す行為であると言われたりする。しかし神でもあるまいし、なにもない虚空に忽然と有をぶら下げて見せることなど、人間ワザを超えることである。ここで筆者は神という言葉しか思い浮かばないのだが、その神のコスモス創造に比すれば、人間の創作行為など断片的な片々たる神まねびをやっているに過ぎないのではないか。天(あめ)が下に新しきものなしともいう。そういう意味でも、人は何かに何かを付け加えることくらいしか出来ないのではないか。しかしながら神まねびも付け加えも、芸術においてこれをなすことは至難のワザなのである。めったに誰でも出来ることではないのである。きわめて少数の芸術的天才やこれに準ずる人たちが、そのモニュマン的作品とともに、時代を越えて存在しつづける所以がそこにある。
 またご大層にならないうちに話を卑近なところに戻せば、筆者の周辺でも、もの生すことの悩ましさに深く入り込んでしまう人を折々に見てきたように思う。汲めども尽きせぬ創作の井戸でもあればいいのだが、そうも行かず、この手の井戸はしょっちゅう涸れる井戸なのである。そんな時、もの生す人は朝夕に井戸をのぞき込み、長嘆息をもらすことだろう。そしてあがきもがくということになる。そんな状況が長く続くと、精神の平衡を保つこともむつかしくなるのではないか。それが肉体にも影響を及ぼしてくる…。
 筆者はそのような状態にある人と、アドバイスとか忠告といった偉そうなことではなく、何度か話し込んだことがある。人によって話したことも色々であったろうし、いちいち覚えてもいないが、まあその人を一生懸命に励ますわけである。例えば…芸術の人は処女作や一度経験したピークを一生超えられないこともあるとか、そんなに次から次へと新手が湧いてくるわけがないとか、一つことであっても洗練に洗練を加えていく途もあるとか、そこからまた新たな想起やインスピレーションが得られるかもしれないとか、閉じられた世界に引きこもるのはいけないとか、そして古今東西、世界は広い、アンテナを伸ばしてパクリまくったらどうかとか、いろんなことを、憚りながらしゃべるわけである。そして続けて行ってほしいと言うのである。継続が肝要なのである。才あり悩み深き人ほど、いいものを生み出すのだと思う。またそういう人ほど絶望するということもある。ひょいと人生の扉から、その扉は開いているのか閉まっているのか知らないが、これまでと出て往ってしまう人もいるから油断ならない。口惜しい話である。筆者は、たとえいま眼前が真っ暗であっても、なにものか美しいもの善きもの真に迫るものを生さんとするのなら、人生の長きにわたって継続的に、創作の歓びと幸福を追い求めるべきであると思う。それが成功しようと失敗に終わろうともである。言いたくないが、成功のおぼつかないのが芸術の世界であろう。見渡せば一握りの成功者以外は死屍累々たる光景なのではないか。いやしかし、一人の才能ある芸術の人の人生が、生涯ままならぬものであったとしても、ギブアップしなかったのなら、筆者はその人に満腔の敬意とシンパシーを送りたく思う。なぜならばその人は恵まれずとも、貴い価値に一歩でも近づこうとした人だからである。
 新宮さやかも七度目の個展となる。大きな荷を携え持って来てくれた写真の作品は、驚くべき丹精を尽した出来ばえで、何かの気配、兆しをはらみながら、メタモルフォーゼとか変態、生成変化というか変身のための、一瞬のストップモーションを呈示するかのようである。抽象が立っているということだろう。筆者は、彼女のなかに最も必要な継続の力を見る。継続とは一番の困難事なのだが、彼女はそれを限りある身の限り試そうとする人だと思う。彼女は、自身の心魂奥深くに眠る、美しく永遠なるものを懸命に想起しようとしているように見える。それは、作品とおのれにいまだ不足している、何か高きものを希求するといった姿勢であろう。彼女と彼女の作品との縁もすでに長きに渡るが、このご縁、向うから縁切りされない限り、この先も大切にしていきたく思っているのである。-葎-

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本展の出品作品は、Shopページでご覧いただけます。
Pieces shown in this exhibit can be viewed, and, if available, purchased, on the Shop webpage. Please follow this link to the Shop and search using the artist's name, or navigate using the alphabetical list of artist names.

鈴木大弓展
前の投稿2025年10月18日

鈴木大弓展

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