岸田さんが今回のために消息をお送り下さった。作者の文章、言葉はまた格別と思われ、ここに掲載いたします…。
今回お世話になるギャラリーのほうから、個展に向けてなにか書くようにと仰せつかり、これを書いているのが秋冷十一月下旬の頃合い、私が窯を構える標高七百メートルの鳥巣という集落は、息を呑むような紅葉に包まれつつあります。
枯れた葉のくすんだ色にも心を奪われますが、紅葉に色変りする赤から黄色のグラデーションは、目の中で絵の具が滲み広がるような感覚を覚えるほどで毎年新しい驚きがあります。
案内状用に選んだ碗なりの茶碗についてですが、唐津のやきものの中で奥高麗と呼ばれる無地の茶碗は、特別な意味を持っていて、いつかは取り組みたいと思っていたところに時間と機会を自らに与えることができ、この展示に向けて集中して取り組んでいるところです。
奥高麗茶碗の色を指す言葉に「枇杷色」という言葉があり、ベージュやくすんだ黄色、橙色から茶色、やや赤みがかった薄茶色などの微妙な色合いを指す言葉ですが、もう一つ「朽葉色」という言葉でその色が形容されることもあります。
このしんと冴えた鳥巣の山中で、枯葉の絨毯を踏みしめつつ、葉の舞い落ちる冷え枯れた空気の中に鮮やかさと再生の勁(つよ)さを見つけたとき、この空間をまるごと、だれかに見せたいと強く思います。
自分なりの奥高麗ということで、奥高麗手というのがやっとですが、お手に取ってじっくりと見て頂けたら心から幸せに思います。 岸田匡啓拝
…奥高麗とは地理的に高麗の奥と取れば、奥高麗茶碗は、当時高麗王朝は朝鮮半島の付け根の向うまで拡がっていたので、その辺りすなわち朝鮮の奥で作られたものだと…、とも云われている。また別説は、奥高麗は桃山期に唐津で作られた古唐津の一種であり、舶載の高麗末期か李朝初期のものを模造しようとしたものであると。往古に倣うということでこの場合、奥高麗の奥は古いという意味付けになる。はっきりしないのである。伝世の数も極端に少ない茶盌である。得てして高麗茶碗の名称は由来の定かでないものが多いが、高麗という時代の総称に、奥の一字を冠したということを思えば、これを別格としたのだろう。そして伝世の真物は、実際別格なのである。だれがそう見立てたのかといえば、それは個別の人ということではなく、茶の湯を背景に、桃山期に高潮したわが国独自の審美眼だったのだろう。さて岸田匡啓の奥高麗はいかにと見物の勝手な期待はいや増すが、ご本人の大変さを思えば大丈夫だろうかとも案じられ、背反の気持ちがするのである。
今展では黒高麗、煎茶器、木の葉皿なども出展される予定です。何卒のご清祥を伏してお願い申上げます。-葎-
令和八年丙午(ひのえうま)、畏みて新玉の御慶を申上げます。
本年も相変りませず倍旧のお引廻しの程何を卒お願い申上げます。
ギャラリー器館拝




