あひ知りて侍りける人の身罷(みまか)りけるときに…
〈試みの茶事・札幌EZO茶会に加わらせていただいて〉
平成二十二年七月、北海道の有志の方々のご尽力によって、札幌での”試みの茶事”は実現されました。火付け役は加藤委さんだったと聞いております。彼はこのところ茶の伝道師のような役回りを担っておられまして、小生などそのピュアな情熱と行動に大いに触発されております。
茶会というものは、いろいろとその準備が大変です。中心となって奔命された実行委員会の皆様に深甚なる敬意を表します。なにごとかを成すにはだれかの献身を必要とするのでしょう。わけてもこの一連の茶会の趣旨は、すでにあるものを用いるのではなく、もの作る人たちが、なにからなにまで一から新たに作るというものです。それが茶という場に仕掛けられます。すべてのことに作る人が主体として関わります。忙しく立ち回ります。そして当日の茶会にすべてが収斂されていきます。そこから見えてくるもの、もの作る人たちにとってなにが見えてくるのか、それは人によって違うでしょうが、やはりそれは自己のアイデンティティーに関する事柄であるべきだと思うのです。大層なことを言うようですが…
やはり人はなにか立脚点のようなものが必要だと思います。土台があってこそジャンプもできるし、さらなる展開とか変化の可能性も出てくるのではないかと思います。表現する人にもそれは必要であって、現代というものに意識を特化する、いわゆる現代美術にもそのことが問われると思います。茶の湯は、芸術的、哲学的、宗教的にも、その背後にさまざまな物語を蔵していると思います。フィクションであれノンフィクションであれ、偉大なストーリーを宿しています。それは、人はいかに生きるべきかという物語であり、命より上位の価値観についての物語であり、宗教的救済を示唆する物語でもあります。だからこそ、そこから導かれる美意識や芸術は、普遍性を帯びてくるのだと思うのです。茶とはそのような私たちの文化なのだと思います。文化というものはフラジャイルなものだと思いますが、茶はかろうじて、あるいは奇跡的にも残ったのです。小生はつながっていたいと思います。日頃そんなふうに思って、小生などは茶の創業者たちを慕いつつ、ふらふらとおのれは何者なのかと、立脚点も定まらぬまま茶坊主のようなことを続けております。
当日は濃茶席で日がな茶を練っていましたので、うろうろも出来ず残念でしたが、夜の打ち上げはとても愉しかったです。椅子も足らないほどあんなに多くの人たちが集まって驚きでした。ひとつにまとまっておられるなあと。やってやり甲斐があったと、皆さんそんな表情を浮かべておられました。やきもの以外の他ジャンルの方の参加が多いのにも考えさせられました。そうでなくてはと思いました。それから打ち上げもお開きとなり、もう深夜でしたが、ギャラリーCAIの端さんに連れられて、加藤さんたちと、なにやら地下深い怪しげな場所に到着しました。そこは端さんが主宰するギャラリーでした。全面、壁も床も仕上げなしのコンクリむき出しの、どういったらいいのか、現代美術だなあと、皆さんご存知だと思いますが、そういう空間でした。そこで加藤さんが勝負だというので、はからずもコンクリの床にじかに対座し、さしむかいで茶を点て合うという一亭一客の茶となりました。加藤さん、前日も別の人とやったそうです。緊張しましたが、この出来事が一つの波瀾として強烈に印象に残っております。ただ、茶碗を彼に返すのににじり寄った際、ふと加藤さんの頭の上にそれを乗せてみようかと衝動に駆られたのですが、これはできませんでした。いまだのりを越えて遊べずといったところでした。修行します。以上であります。この度は楽しゅうございました。ありがとうございました…。
加藤委とは主客入れ替りで何度も茶事を行った。筆者の茶への執心が冷めてのちも何度かまたやろうよと誘ってくれたりした。今となればやればよかったと悔しく思われる。たくさん思い出されてならない。彼はチラリチラリと差す曙光のなかで、再生と再起を期しながら苦しい日常を送っていたように思う。しかし結局、昇る日の目も見ずじまいに終始してしまう。人の細胞は何日で全部入れ替るのだろう。筆者は彼の心身にダメージを加える悪習を見知っていたので、心配のあまり声を荒げてもの申したりした。しかしだれがなにを言っても結局はその人の内心というか発心次第なのかもしれない。彼はもう疲れてしまっていたのだろう。やんぬるかな、か。しかしなお晴天の霹靂と案の定と、残念無念とが入り交じったような、やる瀬ない気持ちが拭えなくて仕方がない。
鯉江明展は今展で十回目となります。たしか初個展の最中に東北の大地震があった覚えがあります。まこと日月梭(ひ)を投ぐるがごとしであります。
彼は、余計な付着物がまとい付く前の、最も必要なものだけのやきものを作ろうとしている人だと思います。直截、質実、堅牢、ミニマルな姿かたち。それはおのずと真と美の行き着く先へ随伴する姿勢だと思います。上述の条々は加藤委さんに尽きてしまいましたが、明さんにはご寛恕のほどを願って…。
何卒のご清賞を伏してお願い申上げます。-葎-
鯉江明展Akira KOIE
Earth, Wind and Fire
3/7 Sat. 〜 22 Sun. 2026




